11. 大坂本王子、道の駅熊野古道中辺路 [2018 熊野古道]
2018年11月22日(木)~11月26日(月)
熊野古道(中辺路)・熊野三山 旅行記
11月23日(金・祝)
石畳の道を谷底まで下って行きます。
谷川に架けられた橋を渡ったりしながら歩き進むと、
大坂本王子。
名前は、大坂(逢坂峠)の麓にある王子という意味。
石造りの笠塔婆は鎌倉時代後期のものとのこと。
さらにどんどん下って行くと、
国道311号に合流。
時刻は11:55、このすぐ向かい側に道の駅があるので、
そこでお昼ごはんにしました^^
道の駅 熊野古道中辺路。
物産販売所の奥に軽食コーナーがあります。
じゃばらジュース 350円。
めはり寿司は試食でいただいたもの。
持ち帰り用の3個パックしか売られていなかったので、
1個だけで注文できないか聞いてみたところ、
試食用のものを出してくださいました^^
親子丼 680円。
午前中で約8Km歩けたけれど、午後からも約6Kmを
歩かなきゃなので、具だくさんの親子丼は嬉しかった^^
つづく
熊野古道(中辺路)・熊野三山 旅行記
11月23日(金・祝)
石畳の道を谷底まで下って行きます。
谷川に架けられた橋を渡ったりしながら歩き進むと、
大坂本王子。
名前は、大坂(逢坂峠)の麓にある王子という意味。
石造りの笠塔婆は鎌倉時代後期のものとのこと。
さらにどんどん下って行くと、
国道311号に合流。
時刻は11:55、このすぐ向かい側に道の駅があるので、
そこでお昼ごはんにしました^^
道の駅 熊野古道中辺路。
物産販売所の奥に軽食コーナーがあります。
じゃばらジュース 350円。
めはり寿司は試食でいただいたもの。
持ち帰り用の3個パックしか売られていなかったので、
1個だけで注文できないか聞いてみたところ、
試食用のものを出してくださいました^^
親子丼 680円。
午前中で約8Km歩けたけれど、午後からも約6Kmを
歩かなきゃなので、具だくさんの親子丼は嬉しかった^^
つづく
10. 中辺路 悪四郎屋敷跡、上多和茶屋跡 [2018 熊野古道]
2018年11月22日(木)~11月26日(月)
熊野古道(中辺路)・熊野三山 旅行記
11月23日(金・祝)
十丈王子から次の大坂本王子までは約4km。
1時間30分ほど、ひたすら歩きます。
途中、少し迂回しなきゃいけない場所がありました。
この下に道があったのでしょうが完全に崩れています。
迂回路はとっても有難いのだけど、道幅が狭くて恐かった~。
少し歩くと、悪四郎屋敷跡。
悪四郎は伝説上の有名な人物で、力が強く頓智にたけていた。
「悪」は悪者のことではなく、勇猛で強いという意味。
いたずら好きで地元の人気者だったとのこと。
背後にある悪四郎山(標高782m)の山頂へは、
30分ほどで登れるようだけど、時間が足りなくなって
明るいうちに宿に到着できないと困るので登らず・・・。
この辺りが中辺路でいちばん標高の高い場所。
高原からここまでは基本ずっと上りで、
約400mの標高差を登ったことになります。
で、この後しばらくは、緩やかな下りの道。
悪四郎屋敷跡から30分ほど歩くと、上多和茶屋跡。
熊野詣が盛んだった江戸期から明治ころまで、
標高約600mのこの地にも茶屋があったようです。
三体月伝説の地。
この辺りには旧暦11月23日に出る月が3つに見えると
いう伝承があり、観月会なども行われているのだそう。
さらに少し歩くと、林道に出ました。
林道上も熊野古道は石畳の道。
林道は歩かず、もちろん熊野古道を進みます。
石畳はいい感じだけど、下りだとかなり滑るので、
慎重にゆっくりしか歩けず・・・。
つづく
熊野古道(中辺路)・熊野三山 旅行記
11月23日(金・祝)
十丈王子から次の大坂本王子までは約4km。
1時間30分ほど、ひたすら歩きます。
途中、少し迂回しなきゃいけない場所がありました。
この下に道があったのでしょうが完全に崩れています。
迂回路はとっても有難いのだけど、道幅が狭くて恐かった~。
少し歩くと、悪四郎屋敷跡。
悪四郎は伝説上の有名な人物で、力が強く頓智にたけていた。
「悪」は悪者のことではなく、勇猛で強いという意味。
いたずら好きで地元の人気者だったとのこと。
背後にある悪四郎山(標高782m)の山頂へは、
30分ほどで登れるようだけど、時間が足りなくなって
明るいうちに宿に到着できないと困るので登らず・・・。
この辺りが中辺路でいちばん標高の高い場所。
高原からここまでは基本ずっと上りで、
約400mの標高差を登ったことになります。
で、この後しばらくは、緩やかな下りの道。
悪四郎屋敷跡から30分ほど歩くと、上多和茶屋跡。
熊野詣が盛んだった江戸期から明治ころまで、
標高約600mのこの地にも茶屋があったようです。
三体月伝説の地。
この辺りには旧暦11月23日に出る月が3つに見えると
いう伝承があり、観月会なども行われているのだそう。
さらに少し歩くと、林道に出ました。
林道上も熊野古道は石畳の道。
林道は歩かず、もちろん熊野古道を進みます。
石畳はいい感じだけど、下りだとかなり滑るので、
慎重にゆっくりしか歩けず・・・。
つづく
9. 中辺路 大門王子、十丈王子 [2018 熊野古道]
2018年11月22日(木)~11月26日(月)
熊野古道(中辺路)・熊野三山 旅行記
11月23日(金・祝)
高原池の横を通り過ぎ、
こんな道を登って行くと、
大門王子。
かつて熊野本宮大社の大鳥居や簡易宿泊所があったとのこと。
さらにどんどん歩いて行くと、
開けた場所があったので、周りの山々をパチリ。
青空がいい感じです^^
そして、さらに木々の間を歩き進むと、
十丈峠休憩所。
休憩所のすぐ先に十丈王子跡。
平安・鎌倉時代の書物には重點王子と書かれているのだそう。
かつてはお社だけでなく茶屋を営む民家もあったとのこと。
十丈王子のすぐ近くにあるエコトイレ。
トイレをお借りした後は、またどんどん歩いて行きます。
小判地蔵。
飢えと疲労のため小判をくわえたまま行き倒れた巡礼者を弔って
祀られたものとのこと。
つづく
熊野古道(中辺路)・熊野三山 旅行記
11月23日(金・祝)
高原池の横を通り過ぎ、
こんな道を登って行くと、
大門王子。
かつて熊野本宮大社の大鳥居や簡易宿泊所があったとのこと。
さらにどんどん歩いて行くと、
開けた場所があったので、周りの山々をパチリ。
青空がいい感じです^^
そして、さらに木々の間を歩き進むと、
十丈峠休憩所。
休憩所のすぐ先に十丈王子跡。
平安・鎌倉時代の書物には重點王子と書かれているのだそう。
かつてはお社だけでなく茶屋を営む民家もあったとのこと。
十丈王子のすぐ近くにあるエコトイレ。
トイレをお借りした後は、またどんどん歩いて行きます。
小判地蔵。
飢えと疲労のため小判をくわえたまま行き倒れた巡礼者を弔って
祀られたものとのこと。
つづく
8.中辺路 霧の郷たかはら~高原池 [2018 熊野古道]
2018年11月22日(木)~11月26日(月)
熊野古道(中辺路)・熊野三山 旅行記
11月23日(金・祝)
たっぷり眠って、朝6時起床。
7:30から朝食。
お魚が美味しくてごはんが足りず、おかわり・・・(^^;
8:30チェックアウト。
熊野古道、2日目のこの日は約14Kmを歩きます。
こんな道だけど熊野古道です^^
江戸時代、この通り沿いには10数件の旅籠があったのだとか。
コーヒー欅さん。
扉の前に可愛い子がお出迎えですね~♪
ズームすると、鋭い目つきの黒ニャンコちゃんでした^^
こんな道を少し歩いた後は、
しばらく石畳が続きます。
一里塚跡にある休憩所。
トイレは使用禁止になっていました。
高原池。
つづく
熊野古道(中辺路)・熊野三山 旅行記
11月23日(金・祝)
たっぷり眠って、朝6時起床。
7:30から朝食。
お魚が美味しくてごはんが足りず、おかわり・・・(^^;
8:30チェックアウト。
熊野古道、2日目のこの日は約14Kmを歩きます。
こんな道だけど熊野古道です^^
江戸時代、この通り沿いには10数件の旅籠があったのだとか。
コーヒー欅さん。
扉の前に可愛い子がお出迎えですね~♪
ズームすると、鋭い目つきの黒ニャンコちゃんでした^^
こんな道を少し歩いた後は、
しばらく石畳が続きます。
一里塚跡にある休憩所。
トイレは使用禁止になっていました。
高原池。
つづく
7. 熊野古道の宿 霧の郷たかはら [2018 熊野古道]
2018年11月22日(木)~11月26日(月)
熊野古道(中辺路)・熊野三山 旅行記
11月22日(木)
滝尻王子から13:55に歩き始め、
この日の宿「霧の郷たかはら」に到着したのはぴったり16時。
滝尻王子から高原霧の里休憩所までは約3.8Km。
紀伊田辺駅から歩いて闘鶏神社と蟻通神社をお参りしたのと、
霧の里休憩所から宿まで歩いたのを合計したら、
この日に歩いたのは4.5Kmくらいかな。
距離にすると短いけれど、
朝5時に起きて東京から移動してきたことを考えると、
初日だし、こんなものでしょうね~。
熊野古道の宿 霧の郷たかはら。
宿泊者のほとんどが外国人のようで、入ってすぐ、
スタッフさんに「ハロー」と声を掛けられました。
やっぱり中国人に見えるのか、私・・・(^^;
ツインルームをひとりで使用。
通常は1泊2食付き11,000円のようだけど、
Booking.comで予約したら、genius特典で10%引きになり、
9,900円+入湯税150円で済みました^^
お風呂は渡良瀬温泉のお湯で共用だけど、
洗面台とトイレはお部屋に付いています。
標高約330mの山の中腹にあるこの宿。
お部屋にある小さなバルコニーからの眺めも素晴らしい~♪
見える山々は果無山脈とのこと。
まず温泉に入ってゆっくりし、18:30から夕食です^^
少しずつ色んなものがいっぱい~♪
熊野牛もありました^^
写真にはないけれど、白米とお吸い物も付いていて、
すでにお腹いっぱいの状態で、このカツが登場~。
もちろん美味しくいただきましたが・・・(^^;
デザートはシャーベット。
夕食後、フロント横のお土産コーナーを見たりしていたら、
オーナーの男性に「月がとってもキレイだよ!」って、
半ば強引に(笑)外に連れ出されて、パチリ~。
まんまるのお月様、いい感じです^^
そして部屋に戻ろうとしたら、ロビーにあるピアノで
オペラをやるから聞いていってと言われ、
興味ないんだけどなぁと思いながらも従う私・・・(^^;
オーナーの男性、フレンドリーすぎるくらいの方だったけど、
外国語も色々話せるようで、食事の際はひとつひとつテーブルを
まわり、外国人宿泊者の方々とも大盛り上がりで話されてました。
だからこそ人気のお宿なんですね!!
お部屋に戻り、翌日の準備をして、
もう一度、温泉に入って、21:30就寝。
つづく
熊野古道(中辺路)・熊野三山 旅行記
11月22日(木)
滝尻王子から13:55に歩き始め、
この日の宿「霧の郷たかはら」に到着したのはぴったり16時。
滝尻王子から高原霧の里休憩所までは約3.8Km。
紀伊田辺駅から歩いて闘鶏神社と蟻通神社をお参りしたのと、
霧の里休憩所から宿まで歩いたのを合計したら、
この日に歩いたのは4.5Kmくらいかな。
距離にすると短いけれど、
朝5時に起きて東京から移動してきたことを考えると、
初日だし、こんなものでしょうね~。
熊野古道の宿 霧の郷たかはら。
宿泊者のほとんどが外国人のようで、入ってすぐ、
スタッフさんに「ハロー」と声を掛けられました。
やっぱり中国人に見えるのか、私・・・(^^;
ツインルームをひとりで使用。
通常は1泊2食付き11,000円のようだけど、
Booking.comで予約したら、genius特典で10%引きになり、
9,900円+入湯税150円で済みました^^
お風呂は渡良瀬温泉のお湯で共用だけど、
洗面台とトイレはお部屋に付いています。
標高約330mの山の中腹にあるこの宿。
お部屋にある小さなバルコニーからの眺めも素晴らしい~♪
見える山々は果無山脈とのこと。
まず温泉に入ってゆっくりし、18:30から夕食です^^
少しずつ色んなものがいっぱい~♪
熊野牛もありました^^
写真にはないけれど、白米とお吸い物も付いていて、
すでにお腹いっぱいの状態で、このカツが登場~。
もちろん美味しくいただきましたが・・・(^^;
デザートはシャーベット。
夕食後、フロント横のお土産コーナーを見たりしていたら、
オーナーの男性に「月がとってもキレイだよ!」って、
半ば強引に(笑)外に連れ出されて、パチリ~。
まんまるのお月様、いい感じです^^
そして部屋に戻ろうとしたら、ロビーにあるピアノで
オペラをやるから聞いていってと言われ、
興味ないんだけどなぁと思いながらも従う私・・・(^^;
オーナーの男性、フレンドリーすぎるくらいの方だったけど、
外国語も色々話せるようで、食事の際はひとつひとつテーブルを
まわり、外国人宿泊者の方々とも大盛り上がりで話されてました。
だからこそ人気のお宿なんですね!!
お部屋に戻り、翌日の準備をして、
もう一度、温泉に入って、21:30就寝。
つづく
6. 高原熊野神社、霧の里休憩所 [2018 熊野古道]
2018年11月22日(木)~11月26日(月)
熊野古道(中辺路)・熊野三山 旅行記
11月22日(木)
滝尻王子から歩くこと1時間40分、高原熊野神社に到着。
高原熊野神社。
高原王子とも呼ばれているようだけど、
熊野九十九王子には含まれていないのだそう。
1403年(応永10年)に建てられたという
春日造り檜皮葺(ひわだぶき)の社殿。
熊野古道中辺路沿いでは最古の建築物とのこと。
境内にある樹齢1000年と言われる大楠。
高原熊野神社から歩いてすぐのところにある霧の里休憩所。
私が訪れた15:45、閉まっていました。
高原霧の里休憩所の駐車場。
右端の旗には、世界遺産 熊野古道 高原熊野神社の文字。
高原霧の里休憩所、駐車場からの眺め~♪
の~んびりしてて、とってもいい感じです^^
斜面には幾つか民家が並んでいます。
その上の方にある宿に、この日1泊しました。
つづく
熊野古道(中辺路)・熊野三山 旅行記
11月22日(木)
滝尻王子から歩くこと1時間40分、高原熊野神社に到着。
高原熊野神社。
高原王子とも呼ばれているようだけど、
熊野九十九王子には含まれていないのだそう。
1403年(応永10年)に建てられたという
春日造り檜皮葺(ひわだぶき)の社殿。
熊野古道中辺路沿いでは最古の建築物とのこと。
境内にある樹齢1000年と言われる大楠。
高原熊野神社から歩いてすぐのところにある霧の里休憩所。
私が訪れた15:45、閉まっていました。
高原霧の里休憩所の駐車場。
右端の旗には、世界遺産 熊野古道 高原熊野神社の文字。
高原霧の里休憩所、駐車場からの眺め~♪
の~んびりしてて、とってもいい感じです^^
斜面には幾つか民家が並んでいます。
その上の方にある宿に、この日1泊しました。
つづく
5. 飯盛山~高原 針地蔵、夫婦地蔵 [2018 熊野古道]
2018年11月22日(木)~11月26日(月)
熊野古道(中辺路)・熊野三山 旅行記
11月22日(木)
飯盛山の展望台から景色を楽しんだ後は、
再び先へ先へ歩き進みます。
この先しばらくは下りか平坦な道。
途中から歴史を感じる石畳に~♪
歩いていると、どちらに進めばよいか迷うこともあるのだけど、
大抵はこんな案内板があるので安心です^^
展望台から歩くこと約15分、車道に出ました。
この日の夜、私が泊まる予定の宿の案内板があります。
私は車道を進まず、もちろんこちらの熊野古道を歩きます。
ここも石畳、いい感じ~♪
針地蔵。
石畳は終わって、こんな山道。
夫婦地蔵。
飯盛山の展望台から歩くこと約40分、
高原の集落に出ました。
この日の最終スタンプポイント高原熊野神社まで、あと200m。
つづく
熊野古道(中辺路)・熊野三山 旅行記
11月22日(木)
飯盛山の展望台から景色を楽しんだ後は、
再び先へ先へ歩き進みます。
この先しばらくは下りか平坦な道。
途中から歴史を感じる石畳に~♪
歩いていると、どちらに進めばよいか迷うこともあるのだけど、
大抵はこんな案内板があるので安心です^^
展望台から歩くこと約15分、車道に出ました。
この日の夜、私が泊まる予定の宿の案内板があります。
私は車道を進まず、もちろんこちらの熊野古道を歩きます。
ここも石畳、いい感じ~♪
針地蔵。
石畳は終わって、こんな山道。
夫婦地蔵。
飯盛山の展望台から歩くこと約40分、
高原の集落に出ました。
この日の最終スタンプポイント高原熊野神社まで、あと200m。
つづく
4. 不寝王子、剣ノ山経塚跡、展望台 [2018 熊野古道]
2018年11月22日(木)~11月26日(月)
熊野古道(中辺路)・熊野三山 旅行記
11月22日(木)
胎内くぐりの岩からさらに登ること約5分。
不寝王子(ねずおうじ)跡。
中世の記録には「不寝王子」の名前は登場せず、
江戸時代の記録ではすでに「小社の跡」となっていて、
分からないことが多い王子なのだとか。
上の写真、左端に写っている木箱の中に、
熊野古道とサンティアゴ巡礼道の共通巡礼手帳に押印する
スタンプが収納されています。
私は、滝尻王子から熊野本宮大社までの38Kmを歩き、
決められた場所18個のスタンプを集めることで、
熊野古道側の巡礼条件を達成させます^^
↓共通巡礼手帳をいただきに行ったときの日記
https://kochisa-tabikiroku.blog.so-net.ne.jp/2018-11-11
↓共通巡礼手帳に押したスタンプ
https://kochisa-tabikiroku.blog.so-net.ne.jp/2018-11-26
不寝王子でスタンプを押し、水分補給をしたらすぐに出発。
この先もしばらく上り坂が続きます。
こんな階段も上がって行きます。
滝尻王子から歩き始めて約30分。
この標識によると、まだ0.7Kmしか進めていないみたい。
ほぼ「山登り」だから仕方ないかぁ・・・(^^;
さらに10分ほど歩くと、剣ノ山経塚跡。
この剣ノ山の上は、古くは神聖な場所とされていて、
ここから熊野本宮へかけて九品の門が建ち、
この場所には最初の下品下生の門があったようです。
経塚跡は、経典を経筒に入れ、それを壺に納めて、
地中に埋めた場所とのこと。
剣ノ山経塚跡からさらに歩くこと約10分。
この上に展望台があるようなので行ってみました。
階段を上った先は、飯盛山の山頂。
標高340.7m。
展望台からの眺め~♪
山々と富田川沿いの集落がいい感じです^^
つづく
熊野古道(中辺路)・熊野三山 旅行記
11月22日(木)
胎内くぐりの岩からさらに登ること約5分。
不寝王子(ねずおうじ)跡。
中世の記録には「不寝王子」の名前は登場せず、
江戸時代の記録ではすでに「小社の跡」となっていて、
分からないことが多い王子なのだとか。
上の写真、左端に写っている木箱の中に、
熊野古道とサンティアゴ巡礼道の共通巡礼手帳に押印する
スタンプが収納されています。
私は、滝尻王子から熊野本宮大社までの38Kmを歩き、
決められた場所18個のスタンプを集めることで、
熊野古道側の巡礼条件を達成させます^^
↓共通巡礼手帳をいただきに行ったときの日記
https://kochisa-tabikiroku.blog.so-net.ne.jp/2018-11-11
↓共通巡礼手帳に押したスタンプ
https://kochisa-tabikiroku.blog.so-net.ne.jp/2018-11-26
不寝王子でスタンプを押し、水分補給をしたらすぐに出発。
この先もしばらく上り坂が続きます。
こんな階段も上がって行きます。
滝尻王子から歩き始めて約30分。
この標識によると、まだ0.7Kmしか進めていないみたい。
ほぼ「山登り」だから仕方ないかぁ・・・(^^;
さらに10分ほど歩くと、剣ノ山経塚跡。
この剣ノ山の上は、古くは神聖な場所とされていて、
ここから熊野本宮へかけて九品の門が建ち、
この場所には最初の下品下生の門があったようです。
経塚跡は、経典を経筒に入れ、それを壺に納めて、
地中に埋めた場所とのこと。
剣ノ山経塚跡からさらに歩くこと約10分。
この上に展望台があるようなので行ってみました。
階段を上った先は、飯盛山の山頂。
標高340.7m。
展望台からの眺め~♪
山々と富田川沿いの集落がいい感じです^^
つづく
3. 中辺路 滝尻王子、胎内くぐりの岩 [2018 熊野古道]
2018年11月22日(木)~11月26日(月)
熊野古道(中辺路)・熊野三山 旅行記
11月22日(木)
紀伊田辺駅から路線バスで滝尻へ移動し、
熊野古道の中辺路38Kmを滝尻王子から歩き始めます。
熊野の聖域の入り口とされた滝尻王子。
熊野本宮大社までの38Km、完歩することを誓いました。
これから何度も登場する「〇〇王子」。
王子社は、熊野の神様の御子神がお祀りされているところで、
参詣者の休憩所でもあった場所。
滝尻王子は熊野九十九王子の中でも格式の高い五体王子のひとつ。
かつては宿泊設備がある大社だったようです。
熊野古道は滝尻王子社の左を奥へ進んだところから始まります。
13:55、ここからスタート。
初日のこの日は、約4Kmを歩きます。
左側にある白い板には、
急な坂道が続きます。ゆっくり休みながらお登り下さい。
と書かれてありました。
確かに、完全に「山登り」な感じでした・・・(^^;
滝尻王子、こちら側からも手を合わさせていただきました。
こんな道をどんどん登っていきます。
「熊野古道」の案内板を見るだけでテンション上がる~♪
登り始めて約10分、胎内くぐりの岩。
女性が重なり合った岩のすき間をくぐると安産になるのだそう。
年齢的にもう必要ないけれど、
せっかくの機会なのでくぐってみました^^
入り口よりも出口の穴のほうが狭い。
リュックを背負ったまま入ったら、引っかかって出られず、
岩穴の中でリュックを降ろし、リュックを外に放り投げ、
その後に自分が出ることに・・・(^^;
明るいうちに宿に到着しなきゃなので、
ホントは寄り道をしている時間はないのです。
で、またすぐに歩き出しました~。
つづく
熊野古道(中辺路)・熊野三山 旅行記
11月22日(木)
紀伊田辺駅から路線バスで滝尻へ移動し、
熊野古道の中辺路38Kmを滝尻王子から歩き始めます。
熊野の聖域の入り口とされた滝尻王子。
熊野本宮大社までの38Km、完歩することを誓いました。
これから何度も登場する「〇〇王子」。
王子社は、熊野の神様の御子神がお祀りされているところで、
参詣者の休憩所でもあった場所。
滝尻王子は熊野九十九王子の中でも格式の高い五体王子のひとつ。
かつては宿泊設備がある大社だったようです。
熊野古道は滝尻王子社の左を奥へ進んだところから始まります。
13:55、ここからスタート。
初日のこの日は、約4Kmを歩きます。
左側にある白い板には、
急な坂道が続きます。ゆっくり休みながらお登り下さい。
と書かれてありました。
確かに、完全に「山登り」な感じでした・・・(^^;
滝尻王子、こちら側からも手を合わさせていただきました。
こんな道をどんどん登っていきます。
「熊野古道」の案内板を見るだけでテンション上がる~♪
登り始めて約10分、胎内くぐりの岩。
女性が重なり合った岩のすき間をくぐると安産になるのだそう。
年齢的にもう必要ないけれど、
せっかくの機会なのでくぐってみました^^
入り口よりも出口の穴のほうが狭い。
リュックを背負ったまま入ったら、引っかかって出られず、
岩穴の中でリュックを降ろし、リュックを外に放り投げ、
その後に自分が出ることに・・・(^^;
明るいうちに宿に到着しなきゃなので、
ホントは寄り道をしている時間はないのです。
で、またすぐに歩き出しました~。
つづく
2. 紀伊田辺 蟻通神社、滝尻王子へ [2018 熊野古道]
2018年11月22日(木)~11月26日(月)
熊野古道(中辺路)・熊野三山 旅行記
11月22日(木)
紀伊田辺駅に到着し、まずは闘鶏神社でお参り。
その次は、蟻通神社にもお参りしました。
蟻通神社(ありとおしじんじゃ)。
紀伊田辺にやってきた日本を属国にしようとする海外の使者から
「法螺貝に1本の糸を通せ。」という難題をつきつけられた際に、
ひとりの若い神様が、蜜と蟻を使って問題を解決。
蟻通しの神と言われるようになったことが神社名の由来とのこと。
知恵の神様として信仰されている神社さん。
拝殿。お参りして御朱印をいただきました^^
境内にある「霊樟(れいしょう)」と崇められる大楠。
1854年(安政元年)の大火の際、
水を噴いて町を守ったという伝説があるのだとか。
蟻通神社でお参りをした後は、紀伊田辺駅へ戻り、
紀伊田辺駅前12:50発の龍神自動車の路線バスで、
中辺路38Kmの出発地点である滝尻王子へ移動。
路線バスの車内、見事に外国人だらけでした。
このときは、平日だからかなぁと思っていたのだけど、
そういう訳でもなかったようで・・・(^^;
13:38滝尻バス停で下車。
この景色を目の前にして「うわぁ~♪」と声が出ちゃいました。
川の対岸にある建物は熊野古道館。
この後、歩き始める前にトイレをお借りしました^^
橋を渡って、滝尻王子のある広場へ。
広場の入り口にある世界遺産の石碑。
紀伊山地の霊場と参詣道。熊野参詣道 中辺路。
滝尻王子はかつて熊野の聖域の入り口とされた場所。
現代もここから歩き始める人が多く、
道もよく整備されているとのことだったので、
私もここからスタートです。
熊野古道 中辺路 起点。
この道標は、この先500mごとに設置されているので、
道に迷う心配もなく、歩く励みにもなりました^^
つづく
熊野古道(中辺路)・熊野三山 旅行記
11月22日(木)
紀伊田辺駅に到着し、まずは闘鶏神社でお参り。
その次は、蟻通神社にもお参りしました。
蟻通神社(ありとおしじんじゃ)。
紀伊田辺にやってきた日本を属国にしようとする海外の使者から
「法螺貝に1本の糸を通せ。」という難題をつきつけられた際に、
ひとりの若い神様が、蜜と蟻を使って問題を解決。
蟻通しの神と言われるようになったことが神社名の由来とのこと。
知恵の神様として信仰されている神社さん。
拝殿。お参りして御朱印をいただきました^^
境内にある「霊樟(れいしょう)」と崇められる大楠。
1854年(安政元年)の大火の際、
水を噴いて町を守ったという伝説があるのだとか。
蟻通神社でお参りをした後は、紀伊田辺駅へ戻り、
紀伊田辺駅前12:50発の龍神自動車の路線バスで、
中辺路38Kmの出発地点である滝尻王子へ移動。
路線バスの車内、見事に外国人だらけでした。
このときは、平日だからかなぁと思っていたのだけど、
そういう訳でもなかったようで・・・(^^;
13:38滝尻バス停で下車。
この景色を目の前にして「うわぁ~♪」と声が出ちゃいました。
川の対岸にある建物は熊野古道館。
この後、歩き始める前にトイレをお借りしました^^
橋を渡って、滝尻王子のある広場へ。
広場の入り口にある世界遺産の石碑。
紀伊山地の霊場と参詣道。熊野参詣道 中辺路。
滝尻王子はかつて熊野の聖域の入り口とされた場所。
現代もここから歩き始める人が多く、
道もよく整備されているとのことだったので、
私もここからスタートです。
熊野古道 中辺路 起点。
この道標は、この先500mごとに設置されているので、
道に迷う心配もなく、歩く励みにもなりました^^
つづく
1. 紀伊田辺 闘鶏神社 [2018 熊野古道]
2018年11月22日(木)~11月26日(月)
熊野古道(中辺路)・熊野三山 旅行記
以前から熊野古道を歩いてみたいとは思っていました。
でも、全くの運動不足の私には無理だろうなぁという気持ちもあり、
憧れているだけで何もしないままになっていました。
しかし、6月から山歩きを始め、8月に秩父三十四所観音霊場巡りを
終えたあたりから、もしかしたら私でも熊野古道を歩けるかも!!
って思い始めてしまったんですね~。
そうなると、行ってみないと気が済まない私・・・(^^;
だけど、土日や3連休だけじゃ日数が足りない。
出来ることなら暑くも寒くもない秋に行きたい。
どうしたものかと、しばらくカレンダーとにらめっこし、
11月の3連休の前と後ろに休日出勤の振替休暇をくっつけて、
無理矢理4泊5日で計画を立てちゃったのでした。
11月22日(木)
羽田空港7:10発→関西空港8:30着、JAL221便。
旅の計画を出来たのが1ヶ月ちょっと前だったので、
南紀白浜空港行きの特典航空券は空きがなく、有償チケットも
とってもお値段が高かったので、仕方なく関西空港へ。
関空から紀伊田辺までは電車で移動しました。
JR関西空港駅9:06発→日根野駅9:18着。
JR日根野駅9:47発→紀伊田辺駅11:22着。
特急くろしお3号 乗車券+指定席特急券=4,410円。
この電車代を入れても、南紀白浜より関空の方がだいぶ安いです。
紀伊田辺駅に到着し、
熊野古道(中辺路)38Kmの出発地点である
滝尻王子へ移動する前に、闘鶏神社でお参りです。
JR紀伊田辺駅前にある弁慶像。
武蔵坊弁慶の出生地は田辺と伝えられているのだそう。
紀伊田辺駅から歩いて5分くらい。
闘鶏神社は2016年10月に、世界遺産「紀伊山地の霊場と
参詣道」に追加登録されています。
境内にある弁慶と父湛増の像。
闘鶏神社の名前の由来は、源平合戦のとき、武蔵坊弁慶の父
と伝えられる熊野別当湛増が、どちらに味方するかの神意を
確認するため、神社本殿の前で赤を平氏、白を源氏に見立てた
紅白7羽の鶏を闘わせた。
結果、白の鶏が勝ったことから源氏に味方をすることを決め、
熊野水軍を率いて壇ノ浦へ出陣したことによるものとのこと。
闘鶏神社の社殿は6棟。
配列は、熊野本宮大社が明治22年の川の増水で
流出する前と同じ並びになっているとのこと。
また、御祭神の中には熊野三山が勧請されていて、
かつて熊野詣が困難な人々はここに参拝することで
三山参詣に代えたとも伝わっているようです。
拝殿。お参りして御朱印をいただきました^^
狛犬くん。
尻尾が可愛かったので、後ろ姿もパチリ~♪
境内にある大楠。
つづく
熊野古道(中辺路)・熊野三山 旅行記
以前から熊野古道を歩いてみたいとは思っていました。
でも、全くの運動不足の私には無理だろうなぁという気持ちもあり、
憧れているだけで何もしないままになっていました。
しかし、6月から山歩きを始め、8月に秩父三十四所観音霊場巡りを
終えたあたりから、もしかしたら私でも熊野古道を歩けるかも!!
って思い始めてしまったんですね~。
そうなると、行ってみないと気が済まない私・・・(^^;
だけど、土日や3連休だけじゃ日数が足りない。
出来ることなら暑くも寒くもない秋に行きたい。
どうしたものかと、しばらくカレンダーとにらめっこし、
11月の3連休の前と後ろに休日出勤の振替休暇をくっつけて、
無理矢理4泊5日で計画を立てちゃったのでした。
11月22日(木)
羽田空港7:10発→関西空港8:30着、JAL221便。
旅の計画を出来たのが1ヶ月ちょっと前だったので、
南紀白浜空港行きの特典航空券は空きがなく、有償チケットも
とってもお値段が高かったので、仕方なく関西空港へ。
関空から紀伊田辺までは電車で移動しました。
JR関西空港駅9:06発→日根野駅9:18着。
JR日根野駅9:47発→紀伊田辺駅11:22着。
特急くろしお3号 乗車券+指定席特急券=4,410円。
この電車代を入れても、南紀白浜より関空の方がだいぶ安いです。
紀伊田辺駅に到着し、
熊野古道(中辺路)38Kmの出発地点である
滝尻王子へ移動する前に、闘鶏神社でお参りです。
JR紀伊田辺駅前にある弁慶像。
武蔵坊弁慶の出生地は田辺と伝えられているのだそう。
紀伊田辺駅から歩いて5分くらい。
闘鶏神社は2016年10月に、世界遺産「紀伊山地の霊場と
参詣道」に追加登録されています。
境内にある弁慶と父湛増の像。
闘鶏神社の名前の由来は、源平合戦のとき、武蔵坊弁慶の父
と伝えられる熊野別当湛増が、どちらに味方するかの神意を
確認するため、神社本殿の前で赤を平氏、白を源氏に見立てた
紅白7羽の鶏を闘わせた。
結果、白の鶏が勝ったことから源氏に味方をすることを決め、
熊野水軍を率いて壇ノ浦へ出陣したことによるものとのこと。
闘鶏神社の社殿は6棟。
配列は、熊野本宮大社が明治22年の川の増水で
流出する前と同じ並びになっているとのこと。
また、御祭神の中には熊野三山が勧請されていて、
かつて熊野詣が困難な人々はここに参拝することで
三山参詣に代えたとも伝わっているようです。
拝殿。お参りして御朱印をいただきました^^
狛犬くん。
尻尾が可愛かったので、後ろ姿もパチリ~♪
境内にある大楠。
つづく
5. 猿島 トンネル、台場跡 [2018 横須賀]
2018年11月10日(土)
現地集合&解散の半日ツアー
海に浮かぶ明治の人工要塞「第二海堡」へ
旧日本海軍の戦跡をめぐるヒストリークルージング
に参加してきました^^ の続き。
猿島、幹道をさらに奥へ進んで行くと、
トンネルに続いています。
全国に4ヶ所しかないという貴重な
フランス積みレンガ建造物。
トンネル内は、攻めてきた敵に出口付近が見えないよう
傾斜をさせて造られているのだとか。
トンネルの壁沿いにも壁を掘り込んで二階建ての部屋が造られ、
兵舎や弾薬庫のほか、病室や司令室が設けられていたとのこと。
トンネルを抜けた先には二手に分かれるトンネルがあり、
台場跡の方へ。
残念ながら、こちら側のトンネルへ行く時間はなし・・・。
台場跡へ向かう途中にある砲台跡。
台場跡からの眺め~。
左側に第二海堡、右側に第一海堡が見えます。
これで猿島の見学は終了。
来た道をそのまま桟橋まで戻ります。
ずっと急ぎ足のバタバタで、
じっくり見られなかったのがとっても残念でした。
猿島のガイドさんは説明が上手で分かりやすかったので、
もっとゆっくりしっかり聞きたかった・・・。
時間配分がいい加減すぎるわ!!
桟橋まで小走りで戻って、猿島バイバイ~。
17:10横須賀の三笠桟橋に帰って来て、そのまま解散。
なんだか参加したことを後悔するようなツアーでした。
==== 第二海堡&猿島旅行記 完 ====
現地集合&解散の半日ツアー
海に浮かぶ明治の人工要塞「第二海堡」へ
旧日本海軍の戦跡をめぐるヒストリークルージング
に参加してきました^^ の続き。
猿島、幹道をさらに奥へ進んで行くと、
トンネルに続いています。
全国に4ヶ所しかないという貴重な
フランス積みレンガ建造物。
トンネル内は、攻めてきた敵に出口付近が見えないよう
傾斜をさせて造られているのだとか。
トンネルの壁沿いにも壁を掘り込んで二階建ての部屋が造られ、
兵舎や弾薬庫のほか、病室や司令室が設けられていたとのこと。
トンネルを抜けた先には二手に分かれるトンネルがあり、
台場跡の方へ。
残念ながら、こちら側のトンネルへ行く時間はなし・・・。
台場跡へ向かう途中にある砲台跡。
台場跡からの眺め~。
左側に第二海堡、右側に第一海堡が見えます。
これで猿島の見学は終了。
来た道をそのまま桟橋まで戻ります。
ずっと急ぎ足のバタバタで、
じっくり見られなかったのがとっても残念でした。
猿島のガイドさんは説明が上手で分かりやすかったので、
もっとゆっくりしっかり聞きたかった・・・。
時間配分がいい加減すぎるわ!!
桟橋まで小走りで戻って、猿島バイバイ~。
17:10横須賀の三笠桟橋に帰って来て、そのまま解散。
なんだか参加したことを後悔するようなツアーでした。
==== 第二海堡&猿島旅行記 完 ====
4. 猿島 要塞、兵舎、弾薬庫跡 [2018 横須賀]
2018年11月10日(土)
現地集合&解散の半日ツアー
海に浮かぶ明治の人工要塞「第二海堡」へ
旧日本海軍の戦跡をめぐるヒストリークルージング
に参加してきました^^ の続き。
第二海堡から船で約20分、猿島が見えてきました。
時刻は15:50、まもなく桟橋。
猿島、上陸~♪
お猿さんの絵があるけれど、猿島に猿はいないようです。
管理事務所前の広場で、猿島専用のガイドさんから簡単に
島の説明を受けて、急ぎ足で見学に出発。
何でも、通常の半分程度しか見学時間がないのだとか・・・。
岸壁を掘り込んで造られた要塞へと続く道。
お城周りと同じようにクランクになっています。
正面の突き当りの壁がボコボコになっているのは、
曲がった道の先に敵がいるかもしれないことを考えて、
銃弾が打たれた跡なのだとか。
露天掘りの幹道。
岸壁を掘り込んで造ってあるので、島の外からは空からでも
全く見えない構造になっているとのこと。
右側の窓があるレンガ造りのところは兵舎跡。
兵舎跡の先にある窓のないレンガ造りは弾薬庫跡。
ガイドさんと一緒だと、弾薬庫内に入ることが出来ます。
以前は誰でもが自由に入れた時期があったようで、
弾薬庫内の白壁は落書きだらけでした・・・。
(中は真っ暗なのでフラッシュで撮影してます。)
真上にある砲台に弾薬を運ぶために使われた井戸のような穴。
弾薬庫跡の少し先にあったもうひとつの兵舎前にあるトイレ。
つづく
現地集合&解散の半日ツアー
海に浮かぶ明治の人工要塞「第二海堡」へ
旧日本海軍の戦跡をめぐるヒストリークルージング
に参加してきました^^ の続き。
第二海堡から船で約20分、猿島が見えてきました。
時刻は15:50、まもなく桟橋。
猿島、上陸~♪
お猿さんの絵があるけれど、猿島に猿はいないようです。
管理事務所前の広場で、猿島専用のガイドさんから簡単に
島の説明を受けて、急ぎ足で見学に出発。
何でも、通常の半分程度しか見学時間がないのだとか・・・。
岸壁を掘り込んで造られた要塞へと続く道。
お城周りと同じようにクランクになっています。
正面の突き当りの壁がボコボコになっているのは、
曲がった道の先に敵がいるかもしれないことを考えて、
銃弾が打たれた跡なのだとか。
露天掘りの幹道。
岸壁を掘り込んで造ってあるので、島の外からは空からでも
全く見えない構造になっているとのこと。
右側の窓があるレンガ造りのところは兵舎跡。
兵舎跡の先にある窓のないレンガ造りは弾薬庫跡。
ガイドさんと一緒だと、弾薬庫内に入ることが出来ます。
以前は誰でもが自由に入れた時期があったようで、
弾薬庫内の白壁は落書きだらけでした・・・。
(中は真っ暗なのでフラッシュで撮影してます。)
真上にある砲台に弾薬を運ぶために使われた井戸のような穴。
弾薬庫跡の少し先にあったもうひとつの兵舎前にあるトイレ。
つづく
3. 第二海堡 太陽光パネル、防空指揮所 [2018 横須賀]
2018年11月10日(土)
現地集合&解散の半日ツアー
海に浮かぶ明治の人工要塞「第二海堡」へ
旧日本海軍の戦跡をめぐるヒストリークルージング
に参加してきました^^ の続き。
第二海堡、南の桟橋方面。
砲台跡。
灯台の電源を確保するための太陽光パネル。
太陽光パネルの下にある遺構。
ズームでパチリ、第一海堡。
「防空指揮所」だったと言われている建物。
上ると東京湾を360度見渡すことが出来るらしいのだけど、
立入禁止でした。
これで第二海堡の見学は終了。
1時間では、あっという間すぎて、全然見足りない感じ。
そして、ガイドの説明の仕方が私には合わなくて、
聞いているだけでイライラしちゃうので、
途中からイヤホンガイドの電源を切っちゃってた・・・。
だから、時間以外にも色々足りない感いっぱい。
っていうか、あれじゃ、ガイドなんて要らなくない?
実際とは違う説明をしておいて「へぇ~」なんて思って聞いてると、
「ウソですよ~。信じないでくださいね!」って笑い、
それに対して客が笑わないと、
「最初に約束しましたよね?、楽しくいきましょうよ~!!」
って、ヘラヘラ言ってのける。
楽しくしたい、盛り上げたいって気持ちは分かるけれど、
そのためにウソの解説をするってあり得ない。
正しい内容の説明を、面白くウケるように話すのであれば、
記憶にもしっかり残るし、歓迎されると思うんだけど。
笑いながらの「ウソですよ~」に、とにかくイライラしちゃいました。
説明も、事前にいただいていたガイド冊子に書いてある内容を
声にしているだけな感じだったし、ガイド要らない・・・。
第二海堡を後にし、猿島へ向かいます。
つづく
現地集合&解散の半日ツアー
海に浮かぶ明治の人工要塞「第二海堡」へ
旧日本海軍の戦跡をめぐるヒストリークルージング
に参加してきました^^ の続き。
第二海堡、南の桟橋方面。
砲台跡。
灯台の電源を確保するための太陽光パネル。
太陽光パネルの下にある遺構。
ズームでパチリ、第一海堡。
「防空指揮所」だったと言われている建物。
上ると東京湾を360度見渡すことが出来るらしいのだけど、
立入禁止でした。
これで第二海堡の見学は終了。
1時間では、あっという間すぎて、全然見足りない感じ。
そして、ガイドの説明の仕方が私には合わなくて、
聞いているだけでイライラしちゃうので、
途中からイヤホンガイドの電源を切っちゃってた・・・。
だから、時間以外にも色々足りない感いっぱい。
っていうか、あれじゃ、ガイドなんて要らなくない?
実際とは違う説明をしておいて「へぇ~」なんて思って聞いてると、
「ウソですよ~。信じないでくださいね!」って笑い、
それに対して客が笑わないと、
「最初に約束しましたよね?、楽しくいきましょうよ~!!」
って、ヘラヘラ言ってのける。
楽しくしたい、盛り上げたいって気持ちは分かるけれど、
そのためにウソの解説をするってあり得ない。
正しい内容の説明を、面白くウケるように話すのであれば、
記憶にもしっかり残るし、歓迎されると思うんだけど。
笑いながらの「ウソですよ~」に、とにかくイライラしちゃいました。
説明も、事前にいただいていたガイド冊子に書いてある内容を
声にしているだけな感じだったし、ガイド要らない・・・。
第二海堡を後にし、猿島へ向かいます。
つづく
ベリーズの事件 [日記]
中米ベリーズで邦人親子殺傷のニュース、
かなりショックを受けています。
被害者の方、一昨年のベリーズ旅のときにお世話になった
日本人Yくんのお父さんと弟さん。
ベリーズでは日本語ガイドっていないのか少ないのか、
基本、現地ガイドさんの英語での説明を添乗員さんが日本語に
訳してくれていたのだけど、観光場所の都合上、
2つのグループに分かれなきゃならないときもあって、
そんな日に通訳に来てくれたのがYくんでした。
長時間の移動のときや待ち時間などに、
家族でベリーズに住むことになった経緯や移住してからのことなど
色んな話をたくさん聞かせてもらっていたので、
勝手に親近感を持っていたりして・・・。
だからニュース記事の中にあるおふたりのお名前を見て、
かなり落ち込みました。
旅行中にいただいたこのお弁当、
https://kochisatabi.blog.so-net.ne.jp/2017-07-19
そして、このおにぎり、
https://kochisatabi.blog.so-net.ne.jp/2017-07-30
お父さんが経営している「 TAKA KITCHEN 」で作られたもの。
写真を見ているだけで涙が出ます。
ベリーズ旅、とっても楽しかったんです。
治安の悪さも感じなかったし、
ステキな場所がいっぱいの国だから、
これからは日本人にも人気のある旅先になっていくのだろうと
思っていました。
それを日本食という側から頑張られていたご家族、
どうしてこんな目にあわないといけなかったのでしょう。
お父さんを助けようとして亡くなったマサキさん、
ご冥福をお祈りします。
そして、お父さんのタカユキさん、頑張って!!
少しでも早く快復されることを日本からお祈りいたします。
かなりショックを受けています。
被害者の方、一昨年のベリーズ旅のときにお世話になった
日本人Yくんのお父さんと弟さん。
ベリーズでは日本語ガイドっていないのか少ないのか、
基本、現地ガイドさんの英語での説明を添乗員さんが日本語に
訳してくれていたのだけど、観光場所の都合上、
2つのグループに分かれなきゃならないときもあって、
そんな日に通訳に来てくれたのがYくんでした。
長時間の移動のときや待ち時間などに、
家族でベリーズに住むことになった経緯や移住してからのことなど
色んな話をたくさん聞かせてもらっていたので、
勝手に親近感を持っていたりして・・・。
だからニュース記事の中にあるおふたりのお名前を見て、
かなり落ち込みました。
旅行中にいただいたこのお弁当、
https://kochisatabi.blog.so-net.ne.jp/2017-07-19
そして、このおにぎり、
https://kochisatabi.blog.so-net.ne.jp/2017-07-30
お父さんが経営している「 TAKA KITCHEN 」で作られたもの。
写真を見ているだけで涙が出ます。
ベリーズ旅、とっても楽しかったんです。
治安の悪さも感じなかったし、
ステキな場所がいっぱいの国だから、
これからは日本人にも人気のある旅先になっていくのだろうと
思っていました。
それを日本食という側から頑張られていたご家族、
どうしてこんな目にあわないといけなかったのでしょう。
お父さんを助けようとして亡くなったマサキさん、
ご冥福をお祈りします。
そして、お父さんのタカユキさん、頑張って!!
少しでも早く快復されることを日本からお祈りいたします。
2. 第二海堡 掩蔽壕、灯台、 [2018 横須賀]
2018年11月10日(土)
現地集合&解散の半日ツアー
海に浮かぶ明治の人工要塞「第二海堡」へ
旧日本海軍の戦跡をめぐるヒストリークルージング
に参加してきました^^ の続き。
イギリス積みで建設されたレンガの掩蔽壕(えんぺいごう)。
レンガについているフックには輸入された鉄が使われたとのこと。
掩蔽壕、アーチ形の入り口。
高さ12mの第二海堡灯台。
表示板によると、初点灯は明治27年9月。
北側の眺め~。
南側の眺め~。
西端、15cmカノン砲があった場所。
上部は崩壊してしまっているけれど、
コンクリートにアスファルトが使われて防水をしているのは、
当時の最先端技術だったとのこと。
地下には弾薬が保管されていたようです。
レンガにある桜の刻印。
刻印はどこで造られたかを判別するもののようで、
桜は小菅集治監(現在の東京拘置所)。
灯台の台座には第二海堡を表す「 No.2 」の文字。
下にあるレンガの建造物を守るために置かれた土嚢たち。
つづく
現地集合&解散の半日ツアー
海に浮かぶ明治の人工要塞「第二海堡」へ
旧日本海軍の戦跡をめぐるヒストリークルージング
に参加してきました^^ の続き。
イギリス積みで建設されたレンガの掩蔽壕(えんぺいごう)。
レンガについているフックには輸入された鉄が使われたとのこと。
掩蔽壕、アーチ形の入り口。
高さ12mの第二海堡灯台。
表示板によると、初点灯は明治27年9月。
北側の眺め~。
南側の眺め~。
西端、15cmカノン砲があった場所。
上部は崩壊してしまっているけれど、
コンクリートにアスファルトが使われて防水をしているのは、
当時の最先端技術だったとのこと。
地下には弾薬が保管されていたようです。
レンガにある桜の刻印。
刻印はどこで造られたかを判別するもののようで、
桜は小菅集治監(現在の東京拘置所)。
灯台の台座には第二海堡を表す「 No.2 」の文字。
下にあるレンガの建造物を守るために置かれた土嚢たち。
つづく
こちさの旅の記録(2011~2013)
こちさの旅の記録(2014~2017)
こちさの旅の記録(2018~