16. 掛木古墳、百合畑古墳群、生池 [2019 壱岐]
2019年3月21日(木・祝)~3月23日(土) 壱岐旅行記
3月22日(金)
双六古墳、笹塚古墳、鬼の窟古墳と楽しんだ後は、兵瀬古墳へ。
直径約55mの九州最大の円墳とのことで、是非見たかったけれど、
すぐ近くまで行けているのに、見つからず。
周辺をあちこち探したけれど個人のお宅の庭に繋がる道しかなくて、
結局、兵瀬古墳の見学は諦めちゃいました。
後ほど「壱岐風土記の丘 古墳館」を訪れたときに聞いてみたら、
その個人のお宅の庭を通り抜けた先にあったのだそう。
残念だけど、勝手に私有地に入るわけにはいかないよね・・・。
その後、百田頭古墳群を探すも見つけられず、
あちこち自転車で走っているうちに大清水池へ出ました。
予定を変更して辿り着いたのは、掛木古墳(かけぎこふん)。
現在は直径22mくらいの円墳だけど、築造された6世紀後半から
7世紀前半ころは直径30mほどの規模だっただろうとのこと。
玄室には、一枚岩をくり抜き、屋根の形をした蓋をかぶせた
くり抜き式家形石棺がそのまま残されています。
掛木古墳を楽しんだ後は、百合畑古墳園へ。
緩やかな丘陵に4基の前方後円墳と19基の円墳が確認されていて、
ここ古墳園ではそのうちの6基を見学することが出来ます。
百合畑14号墳(全長約20mの前方後円墳)。
百合畑18号墳(直径約31mの大型円墳)。
石室を見学できるように整備されていました。
特に何かがあるわけではないけれど、
中に入れるだけでワクワクしちゃいます^^
古墳群を楽しんだ後は、周辺も少し見て回りました。
生池(なまいけ)。近くにある水神社の末社のひとつ。
昔は30㎡ほどの池があったようで、河童が人間を生け捕りにして
いたという伝承から、この名で呼ばれるようになったとのこと。
生池城址。倭寇として名をはせた源壹(みなもとのいち)が
16世紀中頃に築城したと伝わる山城。
頂上付近に、二重の空堀と石垣などが残っているけれど、
わざわざ見に来るほどのものではないかも・・・(^^;
つづく
3月22日(金)
双六古墳、笹塚古墳、鬼の窟古墳と楽しんだ後は、兵瀬古墳へ。
直径約55mの九州最大の円墳とのことで、是非見たかったけれど、
すぐ近くまで行けているのに、見つからず。
周辺をあちこち探したけれど個人のお宅の庭に繋がる道しかなくて、
結局、兵瀬古墳の見学は諦めちゃいました。
後ほど「壱岐風土記の丘 古墳館」を訪れたときに聞いてみたら、
その個人のお宅の庭を通り抜けた先にあったのだそう。
残念だけど、勝手に私有地に入るわけにはいかないよね・・・。
その後、百田頭古墳群を探すも見つけられず、
あちこち自転車で走っているうちに大清水池へ出ました。
予定を変更して辿り着いたのは、掛木古墳(かけぎこふん)。
現在は直径22mくらいの円墳だけど、築造された6世紀後半から
7世紀前半ころは直径30mほどの規模だっただろうとのこと。
玄室には、一枚岩をくり抜き、屋根の形をした蓋をかぶせた
くり抜き式家形石棺がそのまま残されています。
掛木古墳を楽しんだ後は、百合畑古墳園へ。
緩やかな丘陵に4基の前方後円墳と19基の円墳が確認されていて、
ここ古墳園ではそのうちの6基を見学することが出来ます。
百合畑14号墳(全長約20mの前方後円墳)。
百合畑18号墳(直径約31mの大型円墳)。
石室を見学できるように整備されていました。
特に何かがあるわけではないけれど、
中に入れるだけでワクワクしちゃいます^^
古墳群を楽しんだ後は、周辺も少し見て回りました。
生池(なまいけ)。近くにある水神社の末社のひとつ。
昔は30㎡ほどの池があったようで、河童が人間を生け捕りにして
いたという伝承から、この名で呼ばれるようになったとのこと。
生池城址。倭寇として名をはせた源壹(みなもとのいち)が
16世紀中頃に築城したと伝わる山城。
頂上付近に、二重の空堀と石垣などが残っているけれど、
わざわざ見に来るほどのものではないかも・・・(^^;
つづく
こちさの旅の記録(2011~2013)
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