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16. 高野山 女人道 円通律寺~相の浦口 [2021 高野山]

2021年7月22日(木・祝)~7月25日(日)
高野山(高野参詣道&お遍路満願)旅行記

7月24日(土)
女人道巡り(奥之院前~不動坂口女人堂)の続き。

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円通律寺の説明板横にある地蔵尊から再び山道に入り、

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こんな道を歩き、

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こんな道を登って行くと、

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熊野参詣道小辺路に出て、さらに歩いて行くと、

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大滝口女人堂跡。
大滝口は轆轤峠に位置し、高野山と熊野を結ぶ小辺路の入り口。

ここは、熊野本宮大社から熊野参詣道の小辺路を経て高野山を
訪ねる参拝者が初めて高野山の宝塔伽藍を目にした場所で、
その光景をよく見ようと、首をろくろ首のように伸ばしたことから、
轆轤峠の名が付いたとのこと。

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現在は木々が生い茂り、宝塔伽藍は全く見えなかったけれど、
この階段を登った丘の上からの眺めは、

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なかなかいい感じでした^^

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そして、こんな道を歩き、

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こんな道を登り、

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こんな道を歩いて行くと、

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鉄塔跡の広場。ここで座ってしばし休憩。

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そして、こんな道を下って行くと、相の浦口女人堂跡が
あったはずなんだけど、どうも見落としちゃったみたい。

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さらに歩いて行くと開けた場所に出て、いい感じの眺め~♪

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木々の間から根本大塔も見えました。

つづく

15. 高野山 女人道 奥之院前~円通律寺 [2021 高野山]

2021年7月22日(木・祝)~7月25日(日)
高野山(高野参詣道&お遍路満願)旅行記

7月24日(土)
奥之院でお参りをした後は、女人道巡りをしました。
女人道への入り口は、奥之院の駐車場にあることは調べていたけれど、
自分では見つけきれず、車の誘導をされていた男性に尋ねたら、
とても丁寧に入り口の目の前まで案内してくださいました^^
駐車場内、左側奥の方にあるトイレの横が入り口でした。

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ここから不動坂口女人堂まで、女人道を歩きます。

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歩き始めるとすぐに大峰口の案内板。

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そして、こんな道を歩いて行くと、

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またすぐに、東口の案内板。
大和口または大峰口とも呼ばれ、吉野より大峰山、洞川、天川を
通り、高野山へとつながる修験道の道で、弘法大師様が高野山へ
初めて入ったのもこの道とのこと。

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そして、こんな道を歩き、

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こんな道も歩いて、

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こんな道も歩いて行くと、

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大峰口女人堂跡。
大峰口は、吉野大峰から高野山への参詣道です。

高野山への参詣道は7つあり、それら入口は高野七口と呼ばれ、
女人禁制が解かれるまで女性はそこから先の山内には入れず、
各入口には女性のための籠り堂として女人堂が建てられました。
それら女人堂を結ぶ道が、当時の女性が歩いた女人道です。

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弥勒峠を越えて、

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下りて行くと、

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砂利道に出て、

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さらに歩いて行くと、

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円通律寺。女人道はまっすぐ進まず、左に曲がります。
奥之院前の駐車場からここまで歩いて45分くらい。

つづく

14. 高野山 奥之院 中の橋~御廟橋 [2021 高野山]

2021年7月22日(木・祝)~7月25日(日)
高野山(高野参詣道&お遍路満願)旅行記

7月24日(土)
奥之院参道の続き。
中の橋(手水橋)を渡って少し歩くと、

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覚鑁坂(かくばんざか)。
段数は43段あり、42(死)を越えるという意味。
万が一坂の途中で転ぶと命が3年と持たないと言い伝わり、
三年坂とも呼ばれているようです。

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身代わり地蔵。

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歩き進むにつれ、神聖な雰囲気が増す参道。

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化粧地蔵、ちょっとコワイ・・・(^^;

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仲良し地蔵。

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石段の上に、豊臣家墓所。

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広々とした敷地の中心に、秀吉公の供養塔。
周りには、秀吉の母公や弟など豊臣一族のお墓が並んでいます。

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そして、少し歩くと開けた場所に出て、護摩堂。

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御廟橋。橋の向こうは御廟のある聖地の中の聖地。
撮影禁止なので、写真はありません。

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御廟橋の下を流れる玉川の水行場。

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奥之院でお参りし、御朱印をいただきました。
四国八十八ヶ所霊場巡礼(お遍路)、満願です^^

つづく

13. 高野山 奥之院 一の橋~中の橋 [2021 高野山]

2021年7月22日(木・祝)~7月25日(日)
高野山(高野参詣道&お遍路満願)旅行記

7月24日(土)
壇上伽藍の愛染堂前に立つ一町石から歩くこと20分、
奥之院の参道入口、一の橋(17町石)までやって来ました。

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一の橋。弘法大師様が参詣する人をここまで送り迎えして
くださるとのことなので、一礼してから橋を渡りました。
一の橋から御廟へと続く約2Kmの参道には、
弘法大師様を慕い建立された墓碑や供養塔が並んでいます。

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奥州仙台 伊達家墓所。

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加賀 前田家墓所。

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薩摩 島津家墓所。

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紀州初代藩主 徳川頼宣墓所。

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武田信玄 勝頼墓所。

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大師の腰かけ石。

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周防岩国 吉川家墓所。

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杉木立に包まれた参道。

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石田三成墓所。

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明智光秀墓所。

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出羽庄内藩主 酒井家墓所。

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中の橋(手水橋)。
平安時代には橋の下を流れる川で身を清めて参拝していた。
川は金の河といい、金は死の隠語とされ、三途の川を表している。
この橋を渡ると、死の世界へ入るという意味なのだとか。

つづく

12. 高野山 壇上伽藍~奥之院一の橋 [2021 高野山]

2021年7月22日(木・祝)~7月25日(日)
高野山(高野参詣道&お遍路満願)旅行記

7月24日(土)
朝6時起床、おにぎりとヨーグルトで朝食にして、7:30宿を出発。
この日は、奥之院のお参り→女人道歩き→金剛峯寺のお参りをしました。

まずは、奥之院の御廟へ向かう一町石がある壇上伽藍へ。
壇上伽藍は、816年(弘仁7年)に弘法大師様が高野山を開いた際、
最初に諸堂が建立された真言密教の道場の中核となる場所。

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壇上伽藍の中門。

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高野山の総本堂、金堂。

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根本大塔。
真言密教の根本道場として建立された日本で最初の多宝塔。

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大塔の鐘。

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愛染堂と奥之院への一町石。
ここから奥之院の御廟へ、金剛界を表す36基の町石が続きます。

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東塔。

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蛇腹道。弘法大師様が高野山の地形を東西に横たわる龍になぞらえ、
このあたりが龍のお腹にあたることからこの名が付いたとのこと。

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蛇腹道、緑と紅葉が美しい小道でした。

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この門から壇上伽藍を後にし、奥之院へ。

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六時の鐘。

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金剛峯寺。(お参りは後ほど。)

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壇上伽藍・愛染堂前に立つ一町石から歩くこと20分、
奥之院の参道入口、一の橋(17町石)までやって来ました。

つづく

11. 高野山 町石道 丹生官省府神社、慈尊院 [2021 高野山]

2021年7月22日(木・祝)~7月25日(日)
高野山(高野参詣道&お遍路満願)旅行記

7月23日(金・祝)
町石道(壇上伽藍~慈尊院)歩きの続き。

朝7:40に壇上伽藍の中門から歩き始め、
途中、丹生都比売神社へ寄り道をして、
179町石の丹生官省府神社に到着したのは15:55でした。

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丹生官省府神社(にうかんしょうぶじんじゃ)。
世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産のひとつです。
拝殿でお参りし、御朱印をいただきました。

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高野山遙拝所から高野山。

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二ノ鳥居から石段を下りて慈尊院へ。

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参道の119石段と一ノ鳥居。

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石段の傍らにある180町石。

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慈尊院。
弘法大師様が高野山を開く際、政所として伽藍を創建した場所。
その後、大師様の母・玉依御前が我が子の開いた山を一目見たい
との一念で、香川県の善通寺から訪ねてきて滞在。
かつて高野山が女人禁制だったころは、女人高野とも呼ばれ、
女性にご利益のあるお寺として知られています。

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本堂(弥勒堂)。弘法大師様の母公の廟。

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大師堂。お参りして、御朱印をいただきました。

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多宝塔。

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この門から慈尊院を後にし、町石道歩き終了。

慈尊院から九度山駅へ向かう途中、
道の駅 柿の郷くどやまへ寄りました。
柿の葉すしを食べたかったけれど、すでに時刻は16:30、
当然ながら売り切れてた。

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で、柿ソフト 378円。
店員の対応が最低で、買わなきゃ良かったと大後悔。
ソフトクリームも大して柿の味はしなかった。

宿のある高野山へは電車・ケーブル・バスで戻りました。
九度山駅17:29発→極楽橋駅18:07着、
極楽橋駅18:10発→高野山駅18:15着。
改札なしで乗り換えできて、運賃 840円。

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高野山ケーブル。

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かなりの急勾配、前日歩いた不動坂がキツかったはず。

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高野山ケーブルの高野山駅を出たら、すぐにバスが待っていて、
18:18発に乗って、金堂前バス停で下車。運賃 350円。

朝からガッツリ歩いて疲れていたので、早く宿に戻り、
お部屋でダラダラしたかったので、この日の夕食もコンビニごはん。
冷やし中華 498円 と ごぼうサラダ 128円。
そして、22:30就寝。

つづく

10. 高野山 町石道 六本杉~173町石 [2021 高野山]

2021年7月22日(木・祝)~7月25日(日)
高野山(高野参詣道&お遍路満願)旅行記

7月23日(金・祝)
町石道(壇上伽藍~慈尊院)歩きの続き。

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寄り道をした丹生都比売神社から六本杉(137町石付近)に戻り、
再び町石道を歩いて行きます。

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六本杉から25分ほど歩くと、接待場。
弘法大師様が入定したのは835年(承和2年)3月21日。
毎年この入定の日に高野山で行われる法会「御影供(みえく)」のため、
大正時代の末期まで、人々は歩いて高野山を目指しました。
当時、村の有志たちが高野詣の人々に握り飯や茶湯の接待を行ったのが
この場所とのこと。この弘法大師様の石像を拝むと、
遠く高野山奥之院の御廟を望むと言われているようです。

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さらに歩いて行くと、149町石。
ここも2本並んだ町石。左の町石の修復跡が痛々しい。

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154町石も2本並んでいるけれど、
建立当時のものは未だ上半分が不明なのかな。

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さらに歩いて行くと、柿の木に囲まれた道になり、

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さらに歩いて行くと開けた場所に出て、7・8分下ると、

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展望台(165町石付近)。
紀の川と九度山の街並みがいい感じ~♪

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展望台で少し休憩をしてから再出発し、竹林を歩いて行くと、

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大きな橋が見えて、

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その大きな橋、新池橋の横に下りてきます。
橋は渡らず直進して10分ほど歩くと丹生官省府神社です。

つづく

9. 高野山 町石道 丹生都比売神社 [2021 高野山]

2021年7月22日(木・祝)~7月25日(日)
高野山(高野参詣道&お遍路満願)旅行記

7月23日(金・祝)
町石道(壇上伽藍~慈尊院)歩きの続き。

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二ッ鳥居から30分ほど歩くと六本杉(137町石付近)。
丹生都比売神社へ向かう道との分岐点でもあります。
時間的に大丈夫そうだったので、丹生都比売神社へ寄り道。

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町石道を外れ、こんな道を15分ほど下って行くと、

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アスファルトの道に出ます。

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そして、アスファルトの道を5分ほど歩いて行くと、

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丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)。
世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産のひとつです。

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輪橋、神様がお渡りになる神橋だけど、
丹生都比売神社の輪橋は参拝者も渡ることが出来るんです。
神様のおかげをいただくためなのだとか。

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禊橋と中鳥居。

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楼門。
こちらでお参りし、御朱印をいただきました。

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本殿。
第一殿から第四殿が左右に並んで社殿を構えています。

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みちびき犬のおみくじ 各500円。
弘法大師様が理想の修行場を求めて紀伊山地の山中を彷徨って
いたとき、丹生都比売大神の御子神である高野御子大神が白黒
2頭の犬を連れた狩人に化身して現れ、高野山へ導いた。
で、みちびき犬なんだけど、可愛くてコレクションに追加~♪

つづく

8. 高野山 町石道 63町石~120町石 [2021 高野山]

2021年7月22日(木・祝)~7月25日(日)
高野山(高野参詣道&お遍路満願)旅行記

7月23日(金・祝)
町石道(壇上伽藍~慈尊院)歩きの続き。

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アップダウンを繰り返しながら、こんな道を歩いて行きます。

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笠木峠も越えて、しばらく歩くとゴルフ場。

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93町石付近から、左側にゴルフ場を見ながら歩きます。

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さらに歩くと開けた場所に出て、その先に、

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神田(こうだ)地蔵堂。

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さらにこんな道を歩いて行くと、

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白蛇の岩と鳥居。

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そして、こんな道を上って行くと、

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二ッ鳥居。
819年(弘仁10年)、弘法大師様が丹生明神と高野明神を
高野山に勧請した際、神域の入り口として木材で建立した鳥居。
現在の石造りになったのは1649年(慶安2年)とのこと。

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二ッ鳥居のすぐ横にある展望台(120町石付近)。
1番石からここまで、歩いて4時間20分くらい。

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展望台からの眺めは、天野の里の田園風景。

つづく

7. 高野山 町石道 40町石~63町石 [2021 高野山]

2021年7月22日(木・祝)~7月25日(日)
高野山(高野参詣道&お遍路満願)旅行記

7月23日(金・祝)
町石道(壇上伽藍~慈尊院)歩きの続き。

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40町石付近にある展望台で少し休憩をしたら再出発。
こんな道を歩いて行きます。

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30分ほど歩くと、2本並んだ53町石。
左側の町石は、建立当時のものが不明だったので、
昭和になって再建したのだけど、
平成になって転落していた建立当時のものが発見され、
修復後に元に戻したため2本になったみたい。

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53町石からすぐのところに押上石。
弘法大師様が雷雨から母をかくまうために押し上げたという大岩。

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押上石から3分ほど歩くと袈裟掛石。
弘法大師様が山を登る際に袈裟を掛けて休んだと伝わる。
袈裟掛石は、高野山の聖域と俗世の境界を示す清浄結界を
表しているとのこと。

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袈裟掛石から7・8分歩くと、こんな道になって、

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六地蔵と59町石。

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さらに歩いて行くと、矢立集落です。

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矢立茶屋さんで、やきもちを食べるつもりでいたのだけど、
残念ながらお休みだったので、持っていたおやつで休憩。
1番石から矢立(60町石付近)まで、歩いて2時間10分くらい。

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矢立にあるトイレをお借りして、こちらから再出発。

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こんな道を歩いて行きます。

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63町石。

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矢立峠を越えるので、しばらく上りの道が続きます。
壇上伽藍から慈尊院への道なら、ずっと下りかと思っていたのに、
実際はけっこうアップダウンがあって楽ではなかった・・・(^^;

つづく

6. 高野山 町石道 1番石~40町石 [2021 高野山]

2021年7月22日(木・祝)~7月25日(日)
高野山(高野参詣道&お遍路満願)旅行記

7月23日(金・祝)
朝6時起床、パンとココアで朝食にして、7:30宿を出発。
この日は、壇上伽藍の中門から麓の慈尊院まで約21Km、
世界遺産の高野参詣道「町石道」を歩きました。

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壇上伽藍の中門。
当初は結界の意味が強い鳥居状のものだったようだけど、
焼失と再建を繰り返し、五間二階の楼門になったとのこと。

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中門の近くにある町石道の1番石。
高野山への7本の参詣道の中で、弘法大師様が高野山開創の際に
切り開き、1町(約109m)毎に木製の卒塔婆を立てて道標とし、
その後も表参道として利用されてきた道が町石道。
麓の慈尊院まで180町(曼荼羅の胎蔵界を表す)です。

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大門、高野山の西の入り口の正門。

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大門前の車道を渡り、ここから山道へ。

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こんな道を下って行きます。

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石が敷いてあると、昔ながらって感じがする~♪

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橋の先にあるのは、13町石。
鎌倉時代に覚斅上人の発願により各層に寄進を募り、
朽ちた木製の卒塔婆の代わりに、20年の歳月をかけて
建てられたのが現在の石造りの五輪塔形の町石。

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かなりの部分が埋まっている町石もありました。
仏様を表す梵字から下は見えないけれど、確か21町石。

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さらにこんな道を歩いて行きます。

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表面が鏡のように平らなことから「鏡石」。

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さらにこんな道を歩いて行くと、

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展望台&休憩所。1番石からここまで、歩いて1時間15分くらい。
40町石付近の場所だけど、町石は見当たらず。

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展望台からの眺め、鉄塔がいっぱい。

つづく

5. 高野山 女人堂~すずめのかくれんぼ [2021 高野山]

2021年7月22日(木・祝)~7月25日(日)
高野山(高野参詣道&お遍路満願)旅行記

7月22日(木・祝)
学文路駅から歩くこと4時間50分(休憩時間を含む)、
京大坂道のゴール、不動坂口女人堂に到着。

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不動坂口女人堂。
1872年(明治5年)、明治政府によって女人禁制が解かれるまで、
女性は高野山に入ることが叶わなかった。
そのため、高野山に繋がる7つの古道の入り口には、
女性のための参篭所「女人堂」が設けられ、
参拝に訪れた女性はここに寝泊まりして、女人道を辿ったとのこと。
不動坂口女人堂は、現存する唯一の女人堂です。

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金剛峯寺・高野山と刻まれた石柱から先が高野山の山内。
昔はここに木戸があったようです。

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不動坂口女人堂のお向かいにある、お竹地蔵尊。
1745年(延享2年)の建立。
亡夫の供養のため高野山に登山し、女人堂で参篭していた
江戸の横山たけさんが、夢の中にお地蔵様が現れたことから、
地蔵尊の建立を思い立ったと伝えられているとのこと。

女人堂横にあるトイレをお借りして、時刻は16:50。
高野山で3泊するゲストハウスへ向かいます。
大門と中門の中間辺りにあるゲストハウスまで約2Km、
あと25分ほど歩かなきゃいけないんだけど・・・。

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歩いている途中にあった浪切不動尊。
拝殿の天井に迫力ある鳴龍が描かれているみたいだけど、
早く宿へ着きたくて、お参りはせずに通過。

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高野山で3泊したのは、ゲストハウス「すずめのかくれんぼ」。
1階は居酒屋さんです。

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バストイレ共用のスタンダードルームで予約していたのに、
他に連泊するお客さんがいないからって、バストイレ付の
スイートルームのようなお部屋にしていただけました^^
お部屋の中に、ウォーターサーバーまで置いてあって、
いつでも冷たいお水と熱いお湯が使えて、とっても便利でした。

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お部屋のいちばん奥がベッドルーム。
素泊まり1泊5,000円×3泊のお値段のまま、
こんな贅沢なお部屋に泊まらせてもらえるなんて~♪

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シャワーのみの共同バスルーム、トイレも共同で覚悟していたのに、
バストイレ付のお部屋にしていただけて、本当に嬉しかった。
3泊4日の高野山、毎日朝から夕方まで歩きまくったので、
バスタブにお湯を入れて、ゆっくり疲れを癒せたのが、
とっても有難かったです。

夕食は、お部屋でダラダラしたかったので、
コンビニで買った冷やしぶっかけうどん、390円。
そして、21時には早々とベッドへ。

つづく

4. 京大坂道 極楽橋~不動坂口女人堂 [2021 高野山]

2021年7月22日(木・祝)~7月25日(日)
高野山(高野参詣道&お遍路満願)旅行記

7月22日(木・祝)
京大坂道(学文路駅~不動坂口女人堂)歩きの続き。

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極楽橋を渡り、この先が不動坂。

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こんな道を歩いて行きます。

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高野山ケーブルが見えたのでパチリ。

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さらに、こんな道を歩いて行きます。

右側の白い案内板のところが旧不動坂(いろは坂)への分岐
だったんだけど、案内板には不動坂の説明が書いてあるだけで、
こちらが旧不動坂という矢印などは全く見られなかったので、
右折するのは何となく不安で、まっすぐ進んじゃいました。
で、旧道ではなく、大正時代に整備された不動坂を歩いたので、
結局、世界遺産の「不動坂」の道は歩けず・・・。

大正時代に整備された不動坂は、舗装された道だったけれど、
ずっと急坂の上りが続くので、キツかった~。
あまりに暑くて、熱中症になりそうな感じがしたので、
湧き水を見つける度にタオルを濡らして、
首を冷やしながら歩いたのでした。

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極楽橋から歩くこと50分(休憩時間を含む)、
清不動堂が見えてきた。

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清不動堂(きよめのふどうどう)。
お参りをした後、座ってちょこっと休憩。

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清不動堂の裏に、旧道の不動坂が続いているのだけど、
間伐による森林整備中とのことで、通行止めでした。

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で、再び、大正時代に整備された不動坂の道を歩きます。

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清不動堂から10分ほど歩くと、花折坂の石仏。
さらに8分ほど歩いて行くと、

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京大坂道のゴール「不動坂口女人堂」です。
時刻は16:40、学文路駅から4時間50分でした。

ガイド地図によると、学文路駅から不動坂口女人堂まで、
3時間30分で歩けるはずなので、私は1時間20分も休憩を
していたということです。とにかく暑かった!!
夏の晴れた日に歩く道ではありません・・・(^^;

つづく

3. 京大坂道 むすびの地蔵堂~極楽橋 [2021 高野山]

2021年7月22日(木・祝)~7月25日(日)
高野山(高野参詣道&お遍路満願)旅行記

7月22日(木・祝)
京大坂道(学文路駅~不動坂口女人堂)歩きの続き。

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日本最後の仇討墓所から5分ほど歩くと、むすびの地蔵堂。

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お堂にお祀りされている地蔵菩薩様は、さまざまな願いを受け止め、
縁むすびの仏様と語りつがれているとのこと。
お参りをさせていただきました。

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さらに5分ほど歩くと神谷宿、旧白藤小学校。

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校舎内には入らなかったけれど、
職員室がカフェになっているようです。

旧白藤小学校に、不動坂口女人堂まで約3.7Km、約1時間10分
と書かれた案内板がありました。
実際の私は、休憩時間も含めて1時間40分ほど掛かったので、
どれだけ暑さに疲れて、ヘロヘロだったのか・・・。

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旧白藤小学校から15分ほど歩くと、南海高野線の線路が見えて、
その少し先で線路の上に架かる橋を渡ります。
そして、こんな道を歩いて行くと、

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極楽橋。
学文路駅から歩いて3時間30分くらい(休憩時間含む)。

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高野参詣道「京大坂道」では、
ここから始まる不動坂の一部だけが世界遺産に登録されています。
ここまでの道はずっと舗装された道だったので、
確かに世界遺産って感じではないかも。

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極楽橋、渡ります。

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渡っていたら、特急こうやが走って来たのでパチリ。

つづく

2. 京大坂道 中屋旅館跡~仇討墓所 [2021 高野山]

2021年7月22日(木・祝)~7月25日(日)
高野山(高野参詣道&お遍路満願)旅行記

7月22日(木・祝)
京大坂道(学文路駅~不動坂口女人堂)歩きの続き。

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河根丹生神社・日輪寺から少し歩くと、中屋旅館跡。
江戸時代に栄えた高野街道河根宿の本陣だったとのこと。

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さらに少し歩くと、千石橋。

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千石橋を渡って、こんな道を歩いて行きます。

あまりに暑くて、それだけでヘロヘロになっていたのに、
この先ずっと上りの道が続き、急坂な箇所も多かったので、
とにかく辛くて、頻繁に休憩を取ってしまいました。

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道端に咲いていた紫陽花。

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千石橋から1時間40分、日本最後の「高野の仇討ち」の解説板。
ホントなら千石橋からここまで1時間程度で歩けるはずなので、
どれだけたくさんの休憩をしてしまったのか・・・。
とにかく暑くて、めちゃくちゃキツかった。

日本最後の「高野の仇討ち」
1871年(明治4年)2月、この地で起こった仇討ちが
きっかけとなり、明治6年に仇討ち禁止令が出されたため、
これが日本最後の仇討ちと言われているようです。

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そして、こんな道を10分ほど歩いて行くと、

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日本最後の仇討墓所(殉難七士のお墓)。
復讐されるようなことをした人たちではあるけれど、
お参りをさせていただきました。

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さらに少し歩くと、高野町神谷地区の集落。
昭和4年に電車が通るまで、
主要道にある宿場町として賑わっていたようです。

つづく

1. 京大坂道 学文路駅~河根丹生神社・日輪寺 [2021 高野山]

2021年7月22日(木・祝)~7月25日(日)
高野山(高野参詣道&お遍路満願)旅行記

7月の4連休、当初は連休に夏休みと有休をくっつけて、
父島でシュノーケリング三昧の予定だったんだけど、
カレンダー通りにしか休めなくなって、予約をキャンセル。
でも、4連休は残っているので、
ゴールデンウィークに結願したお遍路の満願のため、
そして、ヤマスタの高野参詣道スタンプラリーに参加するため、
高野山へ行くことにしたのでした。

7月22日(木・祝)
朝6:15に家を出て、羽田空港へ。
前日に羽田空港は混みあう予定とメールが届いていたので、
だいぶ早めの離陸1時間前に空港に到着。
SFC会員なので、ANA PREMIUM CHECK-IN で保安検査を
受けられるけれど、それでもけっこう並びました。

羽田空港8:00発→伊丹空港9:05着 ANA015便。
タイムセールのときに予約したANAスーパーバリュー、
片道6,550円、お安い!!

伊丹空港から難波までは、バスで移動。
9:40発→なんば駅前10:10着、運賃650円。
そして、南海高野線へ。
南海難波駅10:23発→橋本駅11:14着、
橋本駅11:37発→学文路駅11:46着、運賃810円。

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学文路(かむろ)駅。
どう頑張っても読めません・・・(^^;

学文路駅から先は、高野山の不動坂口女人堂まで、
約8.8Kmの京大坂道を歩きました。

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曇り&雨の予報だったのが、直前で晴れに変わり、
実際は、暑すぎて困るほどの晴天でした。

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学文路駅から10分ほど歩くと、西光寺苅萱堂。
人魚のミイラが奉納されていて見せていただけるようだけど、
この後の時間が読めないので寄り道はガマンです。

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ずっとアスファルトの道が続きます。
京大坂道の道案内は一応あるのだけど、
数が少なくて間隔が長いので、歩いててけっこう不安だった。

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でも、青空と緑、景色はいい感じ~♪

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めっちゃ暑くて、すでにヘロヘロだったけれど、
それでも何とか歩いて行きます。

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学文路駅から歩くこと45分、
ずっと緩やかな上りの道が続いていたけれど、
突然、急坂の下りの道になりました。
そして、5分ほど下って行くと、

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河根丹生(かねにう)神社。

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河根丹生神社のお隣は日輪寺。

つづく

14. 尾瀬 尾瀬沼~大江湿原~沼山峠 [2021 尾瀬]

2021年7月3日(土)~7月4日(日) 尾瀬旅行記

7月4日(日)
尾瀬沼ビジターセンターで缶バッジをいただいて散策終了。
復路は、沼山から路線バスに乗って帰路に就くので、
尾瀬沼地区~大江湿原~沼山峠~沼山バス停と歩きました。

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尾瀬沼地区から大江湿原へ。

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こんな道を歩いて行きます。

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ハクサンチドリ。

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大江湿原もコバイケイソウがいっぱい。

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尾瀬沼、見納め~。

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青空の日に眺めたかった景色。

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大江湿原、いい感じの景色が続きます。

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レンゲツツジ。 神経性の毒を持っているのだそう。

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ポツポツ雨だったのが再び本降りの雨になったので、
この後は、写真撮影を控えて黙々と歩きました。

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沼山峠展望台、めっちゃ雨が降ってて何も見えず。

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この先も黙々と歩いて行きます。

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沼山峠を越えて下った先がバス停のある沼山峠休憩所。
尾瀬沼地区から歩いて1時間くらいでした。

そして、沼山バス停13:00発の路線バスに乗って、
会津高原尾瀬口駅へ。到着したのは15時だったかな。

会津高原尾瀬口駅からの電車リバティ会津は、
もともと最終の18:09発を予約していたのだけど、
沼山で、早い時間のバスに乗ることが出来たので、
会津高原尾瀬口15:17発のリバティに予約を変更。

でも、北千住駅18:02着の予定が、前を走る電車が
車両点検をしたおかげで37分も遅れて18:39着。
地下鉄に乗り換え、家に帰り着いたのは19時すぎでした。

======== 尾瀬旅行記 完 ========


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