47. 母島 北港、北村小学校跡 [2021 小笠原]
2020年12月26日(土)~2021年1月3日(日)
小笠原(父島・母島)旅行記
1月2日(土)
再び車に乗り込んで、さらに北へ移動。
次に訪れたのは、母島北端の入り江にある北港。
戦前はこの近くに人口約600名の北村集落があり、
本土東京からの定期船も寄港していたとのこと。
北村集落のメインストリート跡。
かつては村役場や郵便局、小学校、駐在所、クサヤ工場に
カツオ節の加工工場などもあったようだけど、
1944年に強制疎開が行われて廃村となったようです。
北村小学校跡。
石段を登った両側に門柱が残っていました。
製糖圧搾機のローラー石を積み重ねたもののようです。
使われなくなって70年以上、
校庭はガジュマルに覆われた森になっていました。
これで母島の観光はすべて終了。
時刻は9:50、
10:30発のははじま丸で父島へ戻らなきゃなので、
急いで車に乗り込み、沖港へ向かいました。
つづく
小笠原(父島・母島)旅行記
1月2日(土)
再び車に乗り込んで、さらに北へ移動。
次に訪れたのは、母島北端の入り江にある北港。
戦前はこの近くに人口約600名の北村集落があり、
本土東京からの定期船も寄港していたとのこと。
北村集落のメインストリート跡。
かつては村役場や郵便局、小学校、駐在所、クサヤ工場に
カツオ節の加工工場などもあったようだけど、
1944年に強制疎開が行われて廃村となったようです。
北村小学校跡。
石段を登った両側に門柱が残っていました。
製糖圧搾機のローラー石を積み重ねたもののようです。
使われなくなって70年以上、
校庭はガジュマルに覆われた森になっていました。
これで母島の観光はすべて終了。
時刻は9:50、
10:30発のははじま丸で父島へ戻らなきゃなので、
急いで車に乗り込み、沖港へ向かいました。
つづく
こちさの旅の記録(~2013)
こちさの旅の記録(2014~2017)
こちさの旅の記録(2018~2023)
ここに学校があったことが信じられないですね。
当時は校庭とかもあったようですが、今では森に飲み込まれてるんですね。
by YAP (2021-06-06 06:38)
強制疎開で廃村ですか
悲しい歴史ですね
by あずき (2021-06-07 00:10)