7. 高野山 町石道 40町石~63町石 [2021 高野山]
2021年7月22日(木・祝)~7月25日(日)
高野山(高野参詣道&お遍路満願)旅行記
7月23日(金・祝)
町石道(壇上伽藍~慈尊院)歩きの続き。
40町石付近にある展望台で少し休憩をしたら再出発。
こんな道を歩いて行きます。
30分ほど歩くと、2本並んだ53町石。
左側の町石は、建立当時のものが不明だったので、
昭和になって再建したのだけど、
平成になって転落していた建立当時のものが発見され、
修復後に元に戻したため2本になったみたい。
53町石からすぐのところに押上石。
弘法大師様が雷雨から母をかくまうために押し上げたという大岩。
押上石から3分ほど歩くと袈裟掛石。
弘法大師様が山を登る際に袈裟を掛けて休んだと伝わる。
袈裟掛石は、高野山の聖域と俗世の境界を示す清浄結界を
表しているとのこと。
袈裟掛石から7・8分歩くと、こんな道になって、
六地蔵と59町石。
さらに歩いて行くと、矢立集落です。
矢立茶屋さんで、やきもちを食べるつもりでいたのだけど、
残念ながらお休みだったので、持っていたおやつで休憩。
1番石から矢立(60町石付近)まで、歩いて2時間10分くらい。
矢立にあるトイレをお借りして、こちらから再出発。
こんな道を歩いて行きます。
63町石。
矢立峠を越えるので、しばらく上りの道が続きます。
壇上伽藍から慈尊院への道なら、ずっと下りかと思っていたのに、
実際はけっこうアップダウンがあって楽ではなかった・・・(^^;
つづく
高野山(高野参詣道&お遍路満願)旅行記
7月23日(金・祝)
町石道(壇上伽藍~慈尊院)歩きの続き。
40町石付近にある展望台で少し休憩をしたら再出発。
こんな道を歩いて行きます。
30分ほど歩くと、2本並んだ53町石。
左側の町石は、建立当時のものが不明だったので、
昭和になって再建したのだけど、
平成になって転落していた建立当時のものが発見され、
修復後に元に戻したため2本になったみたい。
53町石からすぐのところに押上石。
弘法大師様が雷雨から母をかくまうために押し上げたという大岩。
押上石から3分ほど歩くと袈裟掛石。
弘法大師様が山を登る際に袈裟を掛けて休んだと伝わる。
袈裟掛石は、高野山の聖域と俗世の境界を示す清浄結界を
表しているとのこと。
袈裟掛石から7・8分歩くと、こんな道になって、
六地蔵と59町石。
さらに歩いて行くと、矢立集落です。
矢立茶屋さんで、やきもちを食べるつもりでいたのだけど、
残念ながらお休みだったので、持っていたおやつで休憩。
1番石から矢立(60町石付近)まで、歩いて2時間10分くらい。
矢立にあるトイレをお借りして、こちらから再出発。
こんな道を歩いて行きます。
63町石。
矢立峠を越えるので、しばらく上りの道が続きます。
壇上伽藍から慈尊院への道なら、ずっと下りかと思っていたのに、
実際はけっこうアップダウンがあって楽ではなかった・・・(^^;
つづく
6. 高野山 町石道 1番石~40町石 [2021 高野山]
2021年7月22日(木・祝)~7月25日(日)
高野山(高野参詣道&お遍路満願)旅行記
7月23日(金・祝)
朝6時起床、パンとココアで朝食にして、7:30宿を出発。
この日は、壇上伽藍の中門から麓の慈尊院まで約21Km、
世界遺産の高野参詣道「町石道」を歩きました。
壇上伽藍の中門。
当初は結界の意味が強い鳥居状のものだったようだけど、
焼失と再建を繰り返し、五間二階の楼門になったとのこと。
中門の近くにある町石道の1番石。
高野山への7本の参詣道の中で、弘法大師様が高野山開創の際に
切り開き、1町(約109m)毎に木製の卒塔婆を立てて道標とし、
その後も表参道として利用されてきた道が町石道。
麓の慈尊院まで180町(曼荼羅の胎蔵界を表す)です。
大門、高野山の西の入り口の正門。
大門前の車道を渡り、ここから山道へ。
こんな道を下って行きます。
石が敷いてあると、昔ながらって感じがする~♪
橋の先にあるのは、13町石。
鎌倉時代に覚斅上人の発願により各層に寄進を募り、
朽ちた木製の卒塔婆の代わりに、20年の歳月をかけて
建てられたのが現在の石造りの五輪塔形の町石。
かなりの部分が埋まっている町石もありました。
仏様を表す梵字から下は見えないけれど、確か21町石。
さらにこんな道を歩いて行きます。
表面が鏡のように平らなことから「鏡石」。
さらにこんな道を歩いて行くと、
展望台&休憩所。1番石からここまで、歩いて1時間15分くらい。
40町石付近の場所だけど、町石は見当たらず。
展望台からの眺め、鉄塔がいっぱい。
つづく
高野山(高野参詣道&お遍路満願)旅行記
7月23日(金・祝)
朝6時起床、パンとココアで朝食にして、7:30宿を出発。
この日は、壇上伽藍の中門から麓の慈尊院まで約21Km、
世界遺産の高野参詣道「町石道」を歩きました。
壇上伽藍の中門。
当初は結界の意味が強い鳥居状のものだったようだけど、
焼失と再建を繰り返し、五間二階の楼門になったとのこと。
中門の近くにある町石道の1番石。
高野山への7本の参詣道の中で、弘法大師様が高野山開創の際に
切り開き、1町(約109m)毎に木製の卒塔婆を立てて道標とし、
その後も表参道として利用されてきた道が町石道。
麓の慈尊院まで180町(曼荼羅の胎蔵界を表す)です。
大門、高野山の西の入り口の正門。
大門前の車道を渡り、ここから山道へ。
こんな道を下って行きます。
石が敷いてあると、昔ながらって感じがする~♪
橋の先にあるのは、13町石。
鎌倉時代に覚斅上人の発願により各層に寄進を募り、
朽ちた木製の卒塔婆の代わりに、20年の歳月をかけて
建てられたのが現在の石造りの五輪塔形の町石。
かなりの部分が埋まっている町石もありました。
仏様を表す梵字から下は見えないけれど、確か21町石。
さらにこんな道を歩いて行きます。
表面が鏡のように平らなことから「鏡石」。
さらにこんな道を歩いて行くと、
展望台&休憩所。1番石からここまで、歩いて1時間15分くらい。
40町石付近の場所だけど、町石は見当たらず。
展望台からの眺め、鉄塔がいっぱい。
つづく
5. 高野山 女人堂~すずめのかくれんぼ [2021 高野山]
2021年7月22日(木・祝)~7月25日(日)
高野山(高野参詣道&お遍路満願)旅行記
7月22日(木・祝)
学文路駅から歩くこと4時間50分(休憩時間を含む)、
京大坂道のゴール、不動坂口女人堂に到着。
不動坂口女人堂。
1872年(明治5年)、明治政府によって女人禁制が解かれるまで、
女性は高野山に入ることが叶わなかった。
そのため、高野山に繋がる7つの古道の入り口には、
女性のための参篭所「女人堂」が設けられ、
参拝に訪れた女性はここに寝泊まりして、女人道を辿ったとのこと。
不動坂口女人堂は、現存する唯一の女人堂です。
金剛峯寺・高野山と刻まれた石柱から先が高野山の山内。
昔はここに木戸があったようです。
不動坂口女人堂のお向かいにある、お竹地蔵尊。
1745年(延享2年)の建立。
亡夫の供養のため高野山に登山し、女人堂で参篭していた
江戸の横山たけさんが、夢の中にお地蔵様が現れたことから、
地蔵尊の建立を思い立ったと伝えられているとのこと。
女人堂横にあるトイレをお借りして、時刻は16:50。
高野山で3泊するゲストハウスへ向かいます。
大門と中門の中間辺りにあるゲストハウスまで約2Km、
あと25分ほど歩かなきゃいけないんだけど・・・。
歩いている途中にあった浪切不動尊。
拝殿の天井に迫力ある鳴龍が描かれているみたいだけど、
早く宿へ着きたくて、お参りはせずに通過。
高野山で3泊したのは、ゲストハウス「すずめのかくれんぼ」。
1階は居酒屋さんです。
バストイレ共用のスタンダードルームで予約していたのに、
他に連泊するお客さんがいないからって、バストイレ付の
スイートルームのようなお部屋にしていただけました^^
お部屋の中に、ウォーターサーバーまで置いてあって、
いつでも冷たいお水と熱いお湯が使えて、とっても便利でした。
お部屋のいちばん奥がベッドルーム。
素泊まり1泊5,000円×3泊のお値段のまま、
こんな贅沢なお部屋に泊まらせてもらえるなんて~♪
シャワーのみの共同バスルーム、トイレも共同で覚悟していたのに、
バストイレ付のお部屋にしていただけて、本当に嬉しかった。
3泊4日の高野山、毎日朝から夕方まで歩きまくったので、
バスタブにお湯を入れて、ゆっくり疲れを癒せたのが、
とっても有難かったです。
夕食は、お部屋でダラダラしたかったので、
コンビニで買った冷やしぶっかけうどん、390円。
そして、21時には早々とベッドへ。
つづく
高野山(高野参詣道&お遍路満願)旅行記
7月22日(木・祝)
学文路駅から歩くこと4時間50分(休憩時間を含む)、
京大坂道のゴール、不動坂口女人堂に到着。
不動坂口女人堂。
1872年(明治5年)、明治政府によって女人禁制が解かれるまで、
女性は高野山に入ることが叶わなかった。
そのため、高野山に繋がる7つの古道の入り口には、
女性のための参篭所「女人堂」が設けられ、
参拝に訪れた女性はここに寝泊まりして、女人道を辿ったとのこと。
不動坂口女人堂は、現存する唯一の女人堂です。
金剛峯寺・高野山と刻まれた石柱から先が高野山の山内。
昔はここに木戸があったようです。
不動坂口女人堂のお向かいにある、お竹地蔵尊。
1745年(延享2年)の建立。
亡夫の供養のため高野山に登山し、女人堂で参篭していた
江戸の横山たけさんが、夢の中にお地蔵様が現れたことから、
地蔵尊の建立を思い立ったと伝えられているとのこと。
女人堂横にあるトイレをお借りして、時刻は16:50。
高野山で3泊するゲストハウスへ向かいます。
大門と中門の中間辺りにあるゲストハウスまで約2Km、
あと25分ほど歩かなきゃいけないんだけど・・・。
歩いている途中にあった浪切不動尊。
拝殿の天井に迫力ある鳴龍が描かれているみたいだけど、
早く宿へ着きたくて、お参りはせずに通過。
高野山で3泊したのは、ゲストハウス「すずめのかくれんぼ」。
1階は居酒屋さんです。
バストイレ共用のスタンダードルームで予約していたのに、
他に連泊するお客さんがいないからって、バストイレ付の
スイートルームのようなお部屋にしていただけました^^
お部屋の中に、ウォーターサーバーまで置いてあって、
いつでも冷たいお水と熱いお湯が使えて、とっても便利でした。
お部屋のいちばん奥がベッドルーム。
素泊まり1泊5,000円×3泊のお値段のまま、
こんな贅沢なお部屋に泊まらせてもらえるなんて~♪
シャワーのみの共同バスルーム、トイレも共同で覚悟していたのに、
バストイレ付のお部屋にしていただけて、本当に嬉しかった。
3泊4日の高野山、毎日朝から夕方まで歩きまくったので、
バスタブにお湯を入れて、ゆっくり疲れを癒せたのが、
とっても有難かったです。
夕食は、お部屋でダラダラしたかったので、
コンビニで買った冷やしぶっかけうどん、390円。
そして、21時には早々とベッドへ。
つづく
4. 京大坂道 極楽橋~不動坂口女人堂 [2021 高野山]
2021年7月22日(木・祝)~7月25日(日)
高野山(高野参詣道&お遍路満願)旅行記
7月22日(木・祝)
京大坂道(学文路駅~不動坂口女人堂)歩きの続き。
極楽橋を渡り、この先が不動坂。
こんな道を歩いて行きます。
高野山ケーブルが見えたのでパチリ。
さらに、こんな道を歩いて行きます。
右側の白い案内板のところが旧不動坂(いろは坂)への分岐
だったんだけど、案内板には不動坂の説明が書いてあるだけで、
こちらが旧不動坂という矢印などは全く見られなかったので、
右折するのは何となく不安で、まっすぐ進んじゃいました。
で、旧道ではなく、大正時代に整備された不動坂を歩いたので、
結局、世界遺産の「不動坂」の道は歩けず・・・。
大正時代に整備された不動坂は、舗装された道だったけれど、
ずっと急坂の上りが続くので、キツかった~。
あまりに暑くて、熱中症になりそうな感じがしたので、
湧き水を見つける度にタオルを濡らして、
首を冷やしながら歩いたのでした。
極楽橋から歩くこと50分(休憩時間を含む)、
清不動堂が見えてきた。
清不動堂(きよめのふどうどう)。
お参りをした後、座ってちょこっと休憩。
清不動堂の裏に、旧道の不動坂が続いているのだけど、
間伐による森林整備中とのことで、通行止めでした。
で、再び、大正時代に整備された不動坂の道を歩きます。
清不動堂から10分ほど歩くと、花折坂の石仏。
さらに8分ほど歩いて行くと、
京大坂道のゴール「不動坂口女人堂」です。
時刻は16:40、学文路駅から4時間50分でした。
ガイド地図によると、学文路駅から不動坂口女人堂まで、
3時間30分で歩けるはずなので、私は1時間20分も休憩を
していたということです。とにかく暑かった!!
夏の晴れた日に歩く道ではありません・・・(^^;
つづく
高野山(高野参詣道&お遍路満願)旅行記
7月22日(木・祝)
京大坂道(学文路駅~不動坂口女人堂)歩きの続き。
極楽橋を渡り、この先が不動坂。
こんな道を歩いて行きます。
高野山ケーブルが見えたのでパチリ。
さらに、こんな道を歩いて行きます。
右側の白い案内板のところが旧不動坂(いろは坂)への分岐
だったんだけど、案内板には不動坂の説明が書いてあるだけで、
こちらが旧不動坂という矢印などは全く見られなかったので、
右折するのは何となく不安で、まっすぐ進んじゃいました。
で、旧道ではなく、大正時代に整備された不動坂を歩いたので、
結局、世界遺産の「不動坂」の道は歩けず・・・。
大正時代に整備された不動坂は、舗装された道だったけれど、
ずっと急坂の上りが続くので、キツかった~。
あまりに暑くて、熱中症になりそうな感じがしたので、
湧き水を見つける度にタオルを濡らして、
首を冷やしながら歩いたのでした。
極楽橋から歩くこと50分(休憩時間を含む)、
清不動堂が見えてきた。
清不動堂(きよめのふどうどう)。
お参りをした後、座ってちょこっと休憩。
清不動堂の裏に、旧道の不動坂が続いているのだけど、
間伐による森林整備中とのことで、通行止めでした。
で、再び、大正時代に整備された不動坂の道を歩きます。
清不動堂から10分ほど歩くと、花折坂の石仏。
さらに8分ほど歩いて行くと、
京大坂道のゴール「不動坂口女人堂」です。
時刻は16:40、学文路駅から4時間50分でした。
ガイド地図によると、学文路駅から不動坂口女人堂まで、
3時間30分で歩けるはずなので、私は1時間20分も休憩を
していたということです。とにかく暑かった!!
夏の晴れた日に歩く道ではありません・・・(^^;
つづく
3. 京大坂道 むすびの地蔵堂~極楽橋 [2021 高野山]
2021年7月22日(木・祝)~7月25日(日)
高野山(高野参詣道&お遍路満願)旅行記
7月22日(木・祝)
京大坂道(学文路駅~不動坂口女人堂)歩きの続き。
日本最後の仇討墓所から5分ほど歩くと、むすびの地蔵堂。
お堂にお祀りされている地蔵菩薩様は、さまざまな願いを受け止め、
縁むすびの仏様と語りつがれているとのこと。
お参りをさせていただきました。
さらに5分ほど歩くと神谷宿、旧白藤小学校。
校舎内には入らなかったけれど、
職員室がカフェになっているようです。
旧白藤小学校に、不動坂口女人堂まで約3.7Km、約1時間10分
と書かれた案内板がありました。
実際の私は、休憩時間も含めて1時間40分ほど掛かったので、
どれだけ暑さに疲れて、ヘロヘロだったのか・・・。
旧白藤小学校から15分ほど歩くと、南海高野線の線路が見えて、
その少し先で線路の上に架かる橋を渡ります。
そして、こんな道を歩いて行くと、
極楽橋。
学文路駅から歩いて3時間30分くらい(休憩時間含む)。
高野参詣道「京大坂道」では、
ここから始まる不動坂の一部だけが世界遺産に登録されています。
ここまでの道はずっと舗装された道だったので、
確かに世界遺産って感じではないかも。
極楽橋、渡ります。
渡っていたら、特急こうやが走って来たのでパチリ。
つづく
高野山(高野参詣道&お遍路満願)旅行記
7月22日(木・祝)
京大坂道(学文路駅~不動坂口女人堂)歩きの続き。
日本最後の仇討墓所から5分ほど歩くと、むすびの地蔵堂。
お堂にお祀りされている地蔵菩薩様は、さまざまな願いを受け止め、
縁むすびの仏様と語りつがれているとのこと。
お参りをさせていただきました。
さらに5分ほど歩くと神谷宿、旧白藤小学校。
校舎内には入らなかったけれど、
職員室がカフェになっているようです。
旧白藤小学校に、不動坂口女人堂まで約3.7Km、約1時間10分
と書かれた案内板がありました。
実際の私は、休憩時間も含めて1時間40分ほど掛かったので、
どれだけ暑さに疲れて、ヘロヘロだったのか・・・。
旧白藤小学校から15分ほど歩くと、南海高野線の線路が見えて、
その少し先で線路の上に架かる橋を渡ります。
そして、こんな道を歩いて行くと、
極楽橋。
学文路駅から歩いて3時間30分くらい(休憩時間含む)。
高野参詣道「京大坂道」では、
ここから始まる不動坂の一部だけが世界遺産に登録されています。
ここまでの道はずっと舗装された道だったので、
確かに世界遺産って感じではないかも。
極楽橋、渡ります。
渡っていたら、特急こうやが走って来たのでパチリ。
つづく
2. 京大坂道 中屋旅館跡~仇討墓所 [2021 高野山]
2021年7月22日(木・祝)~7月25日(日)
高野山(高野参詣道&お遍路満願)旅行記
7月22日(木・祝)
京大坂道(学文路駅~不動坂口女人堂)歩きの続き。
河根丹生神社・日輪寺から少し歩くと、中屋旅館跡。
江戸時代に栄えた高野街道河根宿の本陣だったとのこと。
さらに少し歩くと、千石橋。
千石橋を渡って、こんな道を歩いて行きます。
あまりに暑くて、それだけでヘロヘロになっていたのに、
この先ずっと上りの道が続き、急坂な箇所も多かったので、
とにかく辛くて、頻繁に休憩を取ってしまいました。
道端に咲いていた紫陽花。
千石橋から1時間40分、日本最後の「高野の仇討ち」の解説板。
ホントなら千石橋からここまで1時間程度で歩けるはずなので、
どれだけたくさんの休憩をしてしまったのか・・・。
とにかく暑くて、めちゃくちゃキツかった。
日本最後の「高野の仇討ち」
1871年(明治4年)2月、この地で起こった仇討ちが
きっかけとなり、明治6年に仇討ち禁止令が出されたため、
これが日本最後の仇討ちと言われているようです。
そして、こんな道を10分ほど歩いて行くと、
日本最後の仇討墓所(殉難七士のお墓)。
復讐されるようなことをした人たちではあるけれど、
お参りをさせていただきました。
さらに少し歩くと、高野町神谷地区の集落。
昭和4年に電車が通るまで、
主要道にある宿場町として賑わっていたようです。
つづく
高野山(高野参詣道&お遍路満願)旅行記
7月22日(木・祝)
京大坂道(学文路駅~不動坂口女人堂)歩きの続き。
河根丹生神社・日輪寺から少し歩くと、中屋旅館跡。
江戸時代に栄えた高野街道河根宿の本陣だったとのこと。
さらに少し歩くと、千石橋。
千石橋を渡って、こんな道を歩いて行きます。
あまりに暑くて、それだけでヘロヘロになっていたのに、
この先ずっと上りの道が続き、急坂な箇所も多かったので、
とにかく辛くて、頻繁に休憩を取ってしまいました。
道端に咲いていた紫陽花。
千石橋から1時間40分、日本最後の「高野の仇討ち」の解説板。
ホントなら千石橋からここまで1時間程度で歩けるはずなので、
どれだけたくさんの休憩をしてしまったのか・・・。
とにかく暑くて、めちゃくちゃキツかった。
日本最後の「高野の仇討ち」
1871年(明治4年)2月、この地で起こった仇討ちが
きっかけとなり、明治6年に仇討ち禁止令が出されたため、
これが日本最後の仇討ちと言われているようです。
そして、こんな道を10分ほど歩いて行くと、
日本最後の仇討墓所(殉難七士のお墓)。
復讐されるようなことをした人たちではあるけれど、
お参りをさせていただきました。
さらに少し歩くと、高野町神谷地区の集落。
昭和4年に電車が通るまで、
主要道にある宿場町として賑わっていたようです。
つづく
1. 京大坂道 学文路駅~河根丹生神社・日輪寺 [2021 高野山]
2021年7月22日(木・祝)~7月25日(日)
高野山(高野参詣道&お遍路満願)旅行記
7月の4連休、当初は連休に夏休みと有休をくっつけて、
父島でシュノーケリング三昧の予定だったんだけど、
カレンダー通りにしか休めなくなって、予約をキャンセル。
でも、4連休は残っているので、
ゴールデンウィークに結願したお遍路の満願のため、
そして、ヤマスタの高野参詣道スタンプラリーに参加するため、
高野山へ行くことにしたのでした。
7月22日(木・祝)
朝6:15に家を出て、羽田空港へ。
前日に羽田空港は混みあう予定とメールが届いていたので、
だいぶ早めの離陸1時間前に空港に到着。
SFC会員なので、ANA PREMIUM CHECK-IN で保安検査を
受けられるけれど、それでもけっこう並びました。
羽田空港8:00発→伊丹空港9:05着 ANA015便。
タイムセールのときに予約したANAスーパーバリュー、
片道6,550円、お安い!!
伊丹空港から難波までは、バスで移動。
9:40発→なんば駅前10:10着、運賃650円。
そして、南海高野線へ。
南海難波駅10:23発→橋本駅11:14着、
橋本駅11:37発→学文路駅11:46着、運賃810円。
学文路(かむろ)駅。
どう頑張っても読めません・・・(^^;
学文路駅から先は、高野山の不動坂口女人堂まで、
約8.8Kmの京大坂道を歩きました。
曇り&雨の予報だったのが、直前で晴れに変わり、
実際は、暑すぎて困るほどの晴天でした。
学文路駅から10分ほど歩くと、西光寺苅萱堂。
人魚のミイラが奉納されていて見せていただけるようだけど、
この後の時間が読めないので寄り道はガマンです。
ずっとアスファルトの道が続きます。
京大坂道の道案内は一応あるのだけど、
数が少なくて間隔が長いので、歩いててけっこう不安だった。
でも、青空と緑、景色はいい感じ~♪
めっちゃ暑くて、すでにヘロヘロだったけれど、
それでも何とか歩いて行きます。
学文路駅から歩くこと45分、
ずっと緩やかな上りの道が続いていたけれど、
突然、急坂の下りの道になりました。
そして、5分ほど下って行くと、
河根丹生(かねにう)神社。
河根丹生神社のお隣は日輪寺。
つづく
高野山(高野参詣道&お遍路満願)旅行記
7月の4連休、当初は連休に夏休みと有休をくっつけて、
父島でシュノーケリング三昧の予定だったんだけど、
カレンダー通りにしか休めなくなって、予約をキャンセル。
でも、4連休は残っているので、
ゴールデンウィークに結願したお遍路の満願のため、
そして、ヤマスタの高野参詣道スタンプラリーに参加するため、
高野山へ行くことにしたのでした。
7月22日(木・祝)
朝6:15に家を出て、羽田空港へ。
前日に羽田空港は混みあう予定とメールが届いていたので、
だいぶ早めの離陸1時間前に空港に到着。
SFC会員なので、ANA PREMIUM CHECK-IN で保安検査を
受けられるけれど、それでもけっこう並びました。
羽田空港8:00発→伊丹空港9:05着 ANA015便。
タイムセールのときに予約したANAスーパーバリュー、
片道6,550円、お安い!!
伊丹空港から難波までは、バスで移動。
9:40発→なんば駅前10:10着、運賃650円。
そして、南海高野線へ。
南海難波駅10:23発→橋本駅11:14着、
橋本駅11:37発→学文路駅11:46着、運賃810円。
学文路(かむろ)駅。
どう頑張っても読めません・・・(^^;
学文路駅から先は、高野山の不動坂口女人堂まで、
約8.8Kmの京大坂道を歩きました。
曇り&雨の予報だったのが、直前で晴れに変わり、
実際は、暑すぎて困るほどの晴天でした。
学文路駅から10分ほど歩くと、西光寺苅萱堂。
人魚のミイラが奉納されていて見せていただけるようだけど、
この後の時間が読めないので寄り道はガマンです。
ずっとアスファルトの道が続きます。
京大坂道の道案内は一応あるのだけど、
数が少なくて間隔が長いので、歩いててけっこう不安だった。
でも、青空と緑、景色はいい感じ~♪
めっちゃ暑くて、すでにヘロヘロだったけれど、
それでも何とか歩いて行きます。
学文路駅から歩くこと45分、
ずっと緩やかな上りの道が続いていたけれど、
突然、急坂の下りの道になりました。
そして、5分ほど下って行くと、
河根丹生(かねにう)神社。
河根丹生神社のお隣は日輪寺。
つづく
こちさの旅の記録(~2013)
こちさの旅の記録(2014~2017)
こちさの旅の記録(2018~2023)